2014/05/18

Smoky - Char

 Char の代表曲と言えばもちろん。


Smoky - Char

Vote For Me Vote For Me 2008/12/15 にアップロード

Track 6 from pictured album; original version

 Char のみならず日本ロック史に残る屈指の名曲だろう。

 非常にスリリングな曲で難しそうに聞こえる。

 誰もがこぞってコピーしたものだ。

 この曲の難しいのは、リードパートやソロの部分ではない。

 とにかく難しいのは最初のストローク7発で最後アームダウンするところ。1-5弦をセーハして3-4-5フレット、4-5-6、とストロークして7発目で7フレットのハーモニクスをならしてアームダウンするだけ。鳴らすだけならはじめてギターを触る子でもすぐに出来る程の簡単な部分。

 リズムを16のウラでストロークするだけなんだけど、こいつが合わない。バンドでさっきのみたいに格好良く決まれば奇跡的だ。最初のスネア2発がくせ者なんだろうか?とにかく格好良く合わないんだよ。ここが決まらないと格好悪すぎて人前では演奏できないだろうね。

Smoky / Char / スモーキー

Atsushi Atsushi


 Char は、PINK CLOUD でもやっているけれど、こうなってしまうと全く別の曲と言っていい。

SMOKY / PINK CLOUD - Live

imagine1960 imagine1960  2009/12/13 にアップロード

1985年のPINK CLOUDのLIVEより「SMOKY」。金子マリ&ミッキー吉野がゲスト参加。この­頃チャーはフェイザー(MXR PHASE100)を使用。演奏終了後、ギターをアンプに向かって投げつける!

2014/05/17

厳密な運用基準を施行令に入れるべき:モートン・ハルペリン氏が講演 - videonewscom

厳密な運用基準を施行令に入れるべき:モートン・ハルペリン氏が講演

videonewscom videonewscom 公開日: 2014/05/10

http://www.videonews.com/
ニュース・コメンタリー (2014年05月10日)
厳密な運用基準を施行令に入れるべき
モートン・ハルペリン氏が講演
 ジョンソン政権以降の米歴代政権で日米関係に深く関わり、政府の秘密指定の指針となる­「ツワネ原則」の策定メンバーも務めたモートン・ハルペリン氏が5月9日、外国特派員­協会で会見し、政府に莫大な自由裁量を認めている日本の秘密保護法を厳しく批判した。
 「そもそも情報は政府のものではなく国民のものだ。やむを得ない場合に一部秘密指定が­認められるとしても、それは限定的かつ明確に定義されたものでなければならない。」ハ­ルペリン氏はこのように語り、昨年12月に成立した日本の秘密保護法の問題点を細かく­指摘した。
 とりわけハルペリン氏はオバマ大統領が2009年に制定したアメリカの秘密保護法令に­あたる「大統領令13526」と日本の秘密保護法を比較した上で、アメリカの制度では­秘密指定できる情報に厳しい制約がある点や、その情報が公開されることで国家安全保障­にどのような悪影響を及ぼすかを文書で明確にしなければならないこと、文書全体ではな­く段落ごとに秘密指定が必要なのに対し、日本の秘密保護法にはいずれの制約もない点を­指摘。12月までに制定されることになっている政府の施行令や運用基準にそうした制約­を含めることが重要になるとの認識を示した。
 政府は昨年12月6日に可決した秘密保護法が1年以内の施行を明記していることから、­12月までに施行令と具体的な運用基準を策定し、閣議決定をしなければならない。現在­、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長が座長を務める情報保全諮問会議と呼ばれる有識者­会議でその内容が議論されている。施行令と運用基準には行政文書を秘密に指定する際の­基準やその解除の基準などが含まれる予定。
 ハルペリン氏の講演をもとに、日本の秘密保護法と米大統領令13526の違いと、現在­政府の有識者会議で行われている施行令や運用基準作りの課題を、ジャーナリストの神保­哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

2014/05/15

モートン・ハルペリン 米外交・安保問題専門家 2014.5.9


モートン・ハルペリン  米外交・安保問題専門家 2014.5.9

jnpc jnpc  公開日: 2014/05/11

Morton H. Halperin, Senior Advisor for the Open Society Institute
日弁連主催の特定秘密保護法関連シンポジムなどに出席のため来日した、米外交・安全保­障の専門家・ハルペリン氏が会見した。
日本との安保・外交交渉に携わった経験から、最もレベルの高い核兵器関連情報について­も米国は日本側に伝えてきている。新たな秘密法ができなければ、そのような情報が日本­に入ってこないとの日本政府の説明は説得力がないとした。
司会 杉田弘毅 日本記者クラブ企画委員(共同通信)
通訳:西村好美(サイマル・インターナショナル)
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news...
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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2014年6月号に掲載)
特定秘密保護法を批判「政府の情報は国民のもの」
有事の際に沖縄への核兵器持ち込みを定めた日米核密約の交渉者として知られる。今回は­昨年末に成立した特定秘密保護法を批判するために来日した。
印象に残ったのは、日本政府との交渉で「日本に秘密漏洩を禁じる法がないからといって­、協議を制限したことはない」と断言したことだ。日米の情報機関同士の情報交換でもそ­うだったという。
特定秘密保護法必要論の有力な根拠は、日本はスパイ天国だから米国が機密情報を教えて­くれない、というものだった。日本政府の説明は間違っているのか。「法のあるなしで変­わりはない」と繰り返した。
安倍政権が検討する集団的自衛権行使など安全保障政策は「北東アジアの平和と安定に寄­与する」と評価した。同時に歴史に関する政治家の言動など周辺国から「右翼的ナショナ­リズム」と警戒の声が出ているとして、「慎重で時間をかけた議論」も要請した。
「政府の情報は国民のもの。だから日米核密約も公開すべきだった」と振り返った。こう­した言葉に異論はない。だが「自由」「公開」は米国でも大いに揺らいでいるのはなぜな­のか、もっとじっくり聞きたかった。
企画委員 共同通信編集委員室長
杉田 弘毅

20140509 UPLAN M・ハルペリン 秘密保護法の廃止を求める国際シンポジウム



20140509 UPLAN M・ハルペリン 秘密保護法の廃止を求める国際シンポジウム

祐児三輪 祐児三輪 公開日: 2014/05/09
【招聘実行委員会】
このたび、多くの市民団体、労働団体、人権NGO、日本弁護士連合会などの協力で、実­行委員会を作り、モートン・ハルペリン氏を米国からお招きして一連の国際シンポジウム­を開催します。
ハルペリン氏はアメリカの国家安全保障会議(NSC)のメンバーを務めた安全保障の専­門家であり、オープン・ソサエティ財団の上級研究員として「国家安全保障と情報への権­利に関する国際原則」(ツワネ原則)策定の中心メンバーの一人でした。特定秘密保護法­について法案段階から、「国家の情報は市民のものである」という立場で国際人権基準か­らかけ離れた法律であるとして厳しく批判 していました。
また、ニクソン政権におけるヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官の片腕として、沖縄­返還に関する日米交渉にも深く関与しています。
今回、ハルペリン氏は東京と名古屋で4回の講演会・シンポジウムに出席し、記者会見や­メディアの単独取材にも精力的に応じます。貴重な機会に、ぜひご参加いただければ幸い­です。

【Part2】秘密保護法国際シンポジウム ー米安全保障専門家が語る知る権利と秘密保護のあり方 ー

videonewscom videonewscom

2014/05/14

モートン ハルペリン (Morton H. Halperin)さん - NHK 戦後史証言アーカイブス


 日本の戦後史に関わる最重要人物が来日しているそうだ。ハルペリンを知る人は、外交史、国際政治史を真剣に学んだ人くらいしか知らないのではないかと思う。

モートン・ハルペリン – Wikipedia

若泉敬 - Wikipedia

 若泉敬については、幸い広く知られるようになった。結構なことだ。

 他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス 〈新装版〉沖縄返還の代償 核と基地 密使・若泉敬の苦悩商品の詳細

ぼくは、彼の講義を何度か受けているはずだが残念なことに記憶に残っていない。そのことは以前にどこかに書いた。彼は、若泉のカウンターパートだった人物だ。

モートン ハルペリン (Morton H. Halperin)さん|証言|NHK 戦後史証言アーカイブス
モートン ハルペリン (Morton H. Halperin)さん|証言|NHK 戦後史証言アーカイブス

返還交渉の時期に基地を整理するという議論はなされませんでした。我々にとって返還合意を取り付けることが第一だったのです。当時もし、返還後の将来について話し始めていたら、基地はやがて閉鎖しなければならないのでは、という議論に踏み込むことになったでしょう。そんな話が出てきたら、米軍は沖縄返還に関与したり支援したりするのを嫌がります。逆の言い方をすれば、だからこそ、そのような議論はしなかったのです。

Q: 1960年代の終わり、米国側にとって、沖縄の米軍基地に関して重要だった問題とは何でしょうか?

そうですね。主要な問題は、もちろん、ベトナム戦争でした。ベトナム戦争のさなかでしたから。我々は、日本本土の基地もいくつかの(限定的な)目的では使っていました。しかし、沖縄の基地は、実戦に関わっていたのです。そのため、多くの人は、ベトナム戦争が終わるまでは、沖縄返還の問題を扱うことはできないと考えていました。 ディーン・ラスク国務長官が当初とった立場もそうでした。つまり、戦争が続いている間は、ベトナムに対する戦闘活動を行うため、沖縄の基地使用の自由度が損なわれるようなことは一切できないというものです。そして我々は、最終的には、その点についての事実上の合意にたどり着くことができました。ベトナム戦争が終わるまでは、それまで行っていた基地の使い方は、どんなものであっても継続できるという合意です。しかしそれは、もっとも短期的な意味での課題でした。 もっと長期的な意味で重要だったことは、返還後の沖縄の基地は、“本土並み(日米安保条約と関連する取り決めを変更なく本土同様に適用すること)”程度でいいのか、それとも使い方の自由度をもっと広げたほうがいいのか、という問題でした。

Q: ベトナム戦争が続く中で、国防総省から返還に強い反対がありましたか?

ベトナム戦争が終わるまでは、基地を自由に使えるという合意を得ることができると分かると、我々の信じていることが正しいと参謀たちは納得したと思います。もし返還に向かって進まなければ、もっと大きなリスクがありました。沖縄で抗議運動が広がって、基地で起こることは全面的に統制できたとしても、基地の運用自体ができなくなる可能性があったのです。 だから、ベトナム問題だけをとってみても、自由に基地使用さえ継続できれば、返還に同意したほうが利があったのです。返還は不可能だと言って沖縄で政治的動乱が起きるという危険を冒すよりは。動乱ということになれば、基地を使い続けることは不可能になるでしょうから。

日本に基地を維持する価値について説明しましょう。我々が進めた沖縄返還の全プロセスには、前提となっていることがありました。それは、日米安保条約の維持と、必要時に使える米軍戦力が日本本土と沖縄に存在することが欠かせない、ということでした。必要時というのは、もし日本が攻撃されるようなことがあれば絶対ですが、さらに近隣の地域の中での攻撃であってもです。 それはまさに、日本と沖縄の基地を維持することが、米国と日本、両国の安全保障にとって必要不可欠だったからです。我々は、沖縄返還の合意に達することが絶対に必要だと考えました。我々にとっての懸案は、日米安保条約が維持できるかということ、そして日本国内の米軍基地を使用する権利を確保できるかということでした。 当時主張されていたのは、もしアメリカが沖縄返還に踏み切らなければ、アメリカは基地を失う危険があり、安保条約を失う危険もある、というものでした。だから、返還は、基地撤退にむけた第一歩とは見られてはいませんでした。むしろ全く反対です。返還は、日本における米軍基地の存在を、より恒久的なものとし、より対等な基盤を作る道だと見られていたのです。

Q:返還後の基地のあり方について、日本政府はどの程度のことを要求したのでしょうか?それにアメリカ側はどう答えたのでしょうか?返還後の基地のあり方について、日本政府が本当に望んでいたことは何だったと分析していましたか?返還後の基地についてです。

米軍に認められる基地使用のあり方については、“日本本土並み”ということで合意されました。しかし、基地の能力を削減するという点で、もしそれに関して議論があったとしたなら、そして日本政府から要請があったのだとしても、私はそれを知りません。私は本当にそれらの議論があったとしても、それについて何も知りません。 我々が沖縄の基地を“本土並み”にしていくと同意したとき、実際には“本土並み”が意味するものも変更するのだと理解していました。というのは、それまでは、日本の基地を実戦のために使用する場合は、事前に日本政府と協議する必要があったからです。特に朝鮮半島の場合が焦点になっていたのですが、日本政府は実戦に基地を使用することは断るだろうと思われていました。事前に協議する必要があるということは、「だめだ」と言われるのと同じことだと。 それで我々は、日本政府にそれを変更する必要性について交渉を始めました。「ノー」を「イエス」に変えるためです。その結果、佐藤首相の記者会見でのスピーチを引き出せたのです。首相は、北東アジアの安全は米国と同様に、日本にとっても重要である。日本は、その理解に基づいて基地使用の要請に応えていくと語りました。 それを受けて、もし朝鮮半島で戦争が勃発したら・・誰もそうなるとは思っていませんでしたが、軍部はいつも万一に備えて計画していました。もし再び戦争が起こったら、日本政府は米国が沖縄だけでなく日本本土の基地を使うことを許可するだろうという確信を持って交渉を終えました。

Q:最終的に米軍基地は返還前とほとんど同じ規模で維持されましたよね?

はい。

Q:その理由は何ですか?米国政府は、交渉の過程の最初からその方針だったのでしょうか?

それは議論に上りませんでした。我々は基地のあり方に焦点を当てていて、基地の規模を変えるかどうかについては問題にしていませんでした。そして誰もそれを論点にしようとはしませんでした。というのも、もし米軍に対し、基地をどこに置くか、どのくらいの規模にするのか、どのように運用するか検討すべきだと問題を提起したとします。それに対して彼らの立場は、「そうですね。少なくともしばらくは、基地を保持しておくべきでしょう」というものだったでしょう。 だから、返還を望んでいた政府関係者であった我々にとって、その問題を持ち出すことは、利益のあることではありませんでした。日本政府はこの問題を持ち出さなかったという点で賢明でした。というわけで、私の知る限りこの問題が論点になったことはありませんでした。もし日本政府が提起していたとしたら、それは国務省が行なっていた交渉の中でのことでしょう。しかし、それが真剣に議論されたとは思えません。我々の立場、とにかく返還を実現しようというものでした。 私もそうですが、国務省の大半の人間は、日米両政府で進行中だった在日米軍削減についての交渉に、沖縄の基地削減の問題も将来は含まれることになるに違いないと予想していました。やがて沖縄の基地も変わることになると思っていたのです。返還から30年たった今でも、この件について真剣に検討されてこなかったと聞いて驚きました。ある人から「基地は全く変わっていないよ」と言われたので、「そんなことはないはずだ」と答えたのです。 返還交渉の間、この問題を持ち出さなかったのは正しかったと思います。ただ、5年後には日本政府が、沖縄の米軍のあり方を変更することについて議論したいと言い出すに違いないと思っていました。しかし、言い出さなかったことに私は驚きを感じます。 なぜ日本政府が言い出さなかったか知らないし、私はその理由を考えてみたこともありませんでした。答えは謎です。本当に不思議なことです。

Q:もちろんアメリカの国防総省も提起しなかったし、国務省も持ち出さなかった。

そうです。米国務省は、米軍がもっと基地がいると言い出すか、日本がそんなに要らないと言い出すか、どちらかを待っています。彼らは、はっきりした立場をとらず、自分から問題を提起したりしません。イニシアチブを取ることはないのです。

Q:つまりあなたは、日本政府が、この問題を持ち出さなかったと記憶している訳ですね?

私の知る限りは、そうです。しかし、さっき言ったように、国務省との直接交渉の中で取り上げられた可能性はあります。そして、国務省が国防総省に報告したものの、国防総省が“それは予定にない”と言って、話が途絶えたのかもしれません。

実を言えば、軍事的な実情と政治的な実情は、時代とともに変化します。そして各国内の政治的実情は配慮されなければなりません。民主国家は、国民が根深く持つ観念を無視して外交政策をとることはできません。 そして、かつて私が沖縄の返還は必要だと信じたように、現在私は基地のありようについて根本的な転換が必要だと信じています。米国は、言いたいときにはいつでも、日本政府に対し、「日本政府は、現在ある米軍基地は必要だ、米国が新たに沖縄につくろうとしている基地も必要だと、国民を説得するべきだ」と言うことができると思っています。 しかし、そんなことはできません。そうはなりません。米軍は何でも必要なことを言えて、日本政府がそれを国民に説得すべきという立場をとるのは、事態を悪くするだけです。それは、軍事的なニーズはいつの間にか何かによって、あらかじめ決まっているという立場です。本来、軍事的ニーズは、どんな国であっても、政治的な実情の中で決められるものです。 だから、まず米軍が必要なものを決めて、日本政府がそれについて国民を説得するというやり方は、合理的ではありません。それぞれが何を望み、何が可能なのか、両国が、一方通行ではなく、双方向で対話に対話を重ねていくべきものです。


アメリカ外交と官僚―政策形成をめぐる抗争-1978年-モートン・H-ハルペリン

SIGMA 50mm F1.4 DG HSM が発売されたね。

 例によって、ソニー用は一番最後なのでぼくはまだ使えない。発売されたキヤノン用のレビューが出だした。

 見た感じはこんなだ。

EOS 5D Mark IIIで試用した。発売はキヤノン用が4月。シグマ用とニコン用が5月16日。ソニー用は発売日未定。実勢価格は税込10万9,790円前後
デジカメwatch

フィルターサイズ Ø77mm
最大径 × 全長 Ø85.4mm×99.9mm
質量 815g

 やはりデカい!(>_<) シグマの35mm は持っているので、解ってんだけどね。それでもデカい。

 キヤノンの倍の明るさを持つF1.2 よりでデカい感じだ。

フィルター径 72mm
最大径×長さ φ85.8mm×65.5mm
質量 590g

 普通50/1.4はこんな感じだ。

EF50mm F1.4 USM

フィルター径 58mm
最大径×長さ φ73.8mm×50.5mm
質量 290g

 

 

 

 大人と子供くらい違う。


 前回出たのは35mm。それもデカい。

EOS 5D Mark IIIに装着。発売はシグマ用が11月23日、キヤノン用が11月30日。ソニー用、ニコン用、ペンタックス用の発売日は未定。価格は12万3,900円

フィルター径 Ø67mm
最大径 × 全長 Ø77mm×94.0mm
質量 665g

 こいつよりもデカいと言うことになる。ちょっと信じられない。

 レンズ構成も普通の50mmとは全然違う。

 今までは、各社横並びで、プラナー型が多かった。こいつは開放では比較的ゆるい表現をする。

レンズ構成図EF50mm F1.4

レンス構成図シグマ 50mmF1.4 旧
フィルターサイズ Ø77mm 
最大径 × 全長 Ø84.5mm×68.2mm 
質量 505g

 

 今回の50mmはこんなレンズ構成。これは今までの標準レンズの構成ではない。望遠のレンズ構成をひっくり返した広角レンズの構成だ。逆望遠型とも言う。これを可変構造にして上手く使うとズームレンズになる。

レンス構成図50mm

レンス構成図35mm

 ツアイスのオータスもこの構成なので

kosei

 今後のトレンドになるだろうね。

 全体的な印象としては左右対称の方が、歪みなどには強いが、開放では諸収差が残るという感じだろうか。レンズによって全然違うんだけどね。

 作例の引用は憚られるでのやめておくが、上記の通りで良いと思う。どうだろう、個人的な印象としては35mmは納得できたけれど、50mmはちょっときついかなぁと思った。ぼくなら、プラナータイプの旧50mmの持ち味の方が、50mmらしくて使いやすいかなぁと感じる。開放はフォーカス以外は、派手目に柔らかく表現してくれる方が表現の幅が広くとれて使いよいと思う。ガッチリ撮るという場合はやはりマクロを絞るだろう。

2014/05/13

「日本タナゴ釣り紀行2」が発売されていた。

 本屋で見つけました。迂闊にも知らなかった。

 「つり人」に連載されていた「日本タナゴ釣り紀行」が完結の上書籍化です・・・今回買ったのは2の方だ。

写真 14

 小型の魚ではあるけれど、見よこの美しさ。これはカネヒラと言う種類。なかなかここまで完璧な個体には出会いないだろうね。

写真 1

写真1 3

 関西ではタナゴとはあまり呼ばない。びわ湖水系では「ぼて」「ぼてじゃこ」と呼ぶ。小型のコイ科の魚だ。こんなやつ。普通はみんなひとまとめに「ぼて」と言って区別などしていなかった。それが今や希少種だ。びわ湖でも南湖ではあまり見かけなくなっている。
写真 11
 そんな少なくなったびわ湖でも、まだ環境としてはいいようなんだね。
写真 2写真 3

写真 4

写真 5

 水路巡りしてみたいんだけどなぁ・・・・なかなか、浜大津のコアユさえ行けないんだからねぇ・・・情けない。


 タナゴ釣りというのはこういう感じの釣り。平和な感じの釣りです。どちらかというと秋冬の釣りですね。道具に凝る人は、非常に繊細微細な仕掛け作りをします。

 一昔前は、どこの池、水路いた魚ですが、用水路の直線化コンクリート化など整備で打撃を受け(メダカと同じでそんなに遡上力がない)、貝に産卵するのですが貝の壊滅的な減少により激減したところに、外来魚に補食されるとさんざんな目に遭い非常に少なくなっています。魚自体は動きも俊敏ですので、前者の環境変化の方が影響は大きいのだと思います。

週刊つりニュース【タナゴ特集】2012

fisingnewsmovie fisingnewsmovie 公開日: 2012/12/13

12月17日発売のタナゴ特集動画版です。
ぜひ紙面も合わせてご覧ください。
ご意見、感想がありましたら、コメントお願いします。
週刊つりニュースHP
http://www.tsurinews.co.jp/