2014/05/14

モートン ハルペリン (Morton H. Halperin)さん - NHK 戦後史証言アーカイブス


 日本の戦後史に関わる最重要人物が来日しているそうだ。ハルペリンを知る人は、外交史、国際政治史を真剣に学んだ人くらいしか知らないのではないかと思う。

モートン・ハルペリン – Wikipedia

若泉敬 - Wikipedia

 若泉敬については、幸い広く知られるようになった。結構なことだ。

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ぼくは、彼の講義を何度か受けているはずだが残念なことに記憶に残っていない。そのことは以前にどこかに書いた。彼は、若泉のカウンターパートだった人物だ。

モートン ハルペリン (Morton H. Halperin)さん|証言|NHK 戦後史証言アーカイブス
モートン ハルペリン (Morton H. Halperin)さん|証言|NHK 戦後史証言アーカイブス

返還交渉の時期に基地を整理するという議論はなされませんでした。我々にとって返還合意を取り付けることが第一だったのです。当時もし、返還後の将来について話し始めていたら、基地はやがて閉鎖しなければならないのでは、という議論に踏み込むことになったでしょう。そんな話が出てきたら、米軍は沖縄返還に関与したり支援したりするのを嫌がります。逆の言い方をすれば、だからこそ、そのような議論はしなかったのです。

Q: 1960年代の終わり、米国側にとって、沖縄の米軍基地に関して重要だった問題とは何でしょうか?

そうですね。主要な問題は、もちろん、ベトナム戦争でした。ベトナム戦争のさなかでしたから。我々は、日本本土の基地もいくつかの(限定的な)目的では使っていました。しかし、沖縄の基地は、実戦に関わっていたのです。そのため、多くの人は、ベトナム戦争が終わるまでは、沖縄返還の問題を扱うことはできないと考えていました。 ディーン・ラスク国務長官が当初とった立場もそうでした。つまり、戦争が続いている間は、ベトナムに対する戦闘活動を行うため、沖縄の基地使用の自由度が損なわれるようなことは一切できないというものです。そして我々は、最終的には、その点についての事実上の合意にたどり着くことができました。ベトナム戦争が終わるまでは、それまで行っていた基地の使い方は、どんなものであっても継続できるという合意です。しかしそれは、もっとも短期的な意味での課題でした。 もっと長期的な意味で重要だったことは、返還後の沖縄の基地は、“本土並み(日米安保条約と関連する取り決めを変更なく本土同様に適用すること)”程度でいいのか、それとも使い方の自由度をもっと広げたほうがいいのか、という問題でした。

Q: ベトナム戦争が続く中で、国防総省から返還に強い反対がありましたか?

ベトナム戦争が終わるまでは、基地を自由に使えるという合意を得ることができると分かると、我々の信じていることが正しいと参謀たちは納得したと思います。もし返還に向かって進まなければ、もっと大きなリスクがありました。沖縄で抗議運動が広がって、基地で起こることは全面的に統制できたとしても、基地の運用自体ができなくなる可能性があったのです。 だから、ベトナム問題だけをとってみても、自由に基地使用さえ継続できれば、返還に同意したほうが利があったのです。返還は不可能だと言って沖縄で政治的動乱が起きるという危険を冒すよりは。動乱ということになれば、基地を使い続けることは不可能になるでしょうから。

日本に基地を維持する価値について説明しましょう。我々が進めた沖縄返還の全プロセスには、前提となっていることがありました。それは、日米安保条約の維持と、必要時に使える米軍戦力が日本本土と沖縄に存在することが欠かせない、ということでした。必要時というのは、もし日本が攻撃されるようなことがあれば絶対ですが、さらに近隣の地域の中での攻撃であってもです。 それはまさに、日本と沖縄の基地を維持することが、米国と日本、両国の安全保障にとって必要不可欠だったからです。我々は、沖縄返還の合意に達することが絶対に必要だと考えました。我々にとっての懸案は、日米安保条約が維持できるかということ、そして日本国内の米軍基地を使用する権利を確保できるかということでした。 当時主張されていたのは、もしアメリカが沖縄返還に踏み切らなければ、アメリカは基地を失う危険があり、安保条約を失う危険もある、というものでした。だから、返還は、基地撤退にむけた第一歩とは見られてはいませんでした。むしろ全く反対です。返還は、日本における米軍基地の存在を、より恒久的なものとし、より対等な基盤を作る道だと見られていたのです。

Q:返還後の基地のあり方について、日本政府はどの程度のことを要求したのでしょうか?それにアメリカ側はどう答えたのでしょうか?返還後の基地のあり方について、日本政府が本当に望んでいたことは何だったと分析していましたか?返還後の基地についてです。

米軍に認められる基地使用のあり方については、“日本本土並み”ということで合意されました。しかし、基地の能力を削減するという点で、もしそれに関して議論があったとしたなら、そして日本政府から要請があったのだとしても、私はそれを知りません。私は本当にそれらの議論があったとしても、それについて何も知りません。 我々が沖縄の基地を“本土並み”にしていくと同意したとき、実際には“本土並み”が意味するものも変更するのだと理解していました。というのは、それまでは、日本の基地を実戦のために使用する場合は、事前に日本政府と協議する必要があったからです。特に朝鮮半島の場合が焦点になっていたのですが、日本政府は実戦に基地を使用することは断るだろうと思われていました。事前に協議する必要があるということは、「だめだ」と言われるのと同じことだと。 それで我々は、日本政府にそれを変更する必要性について交渉を始めました。「ノー」を「イエス」に変えるためです。その結果、佐藤首相の記者会見でのスピーチを引き出せたのです。首相は、北東アジアの安全は米国と同様に、日本にとっても重要である。日本は、その理解に基づいて基地使用の要請に応えていくと語りました。 それを受けて、もし朝鮮半島で戦争が勃発したら・・誰もそうなるとは思っていませんでしたが、軍部はいつも万一に備えて計画していました。もし再び戦争が起こったら、日本政府は米国が沖縄だけでなく日本本土の基地を使うことを許可するだろうという確信を持って交渉を終えました。

Q:最終的に米軍基地は返還前とほとんど同じ規模で維持されましたよね?

はい。

Q:その理由は何ですか?米国政府は、交渉の過程の最初からその方針だったのでしょうか?

それは議論に上りませんでした。我々は基地のあり方に焦点を当てていて、基地の規模を変えるかどうかについては問題にしていませんでした。そして誰もそれを論点にしようとはしませんでした。というのも、もし米軍に対し、基地をどこに置くか、どのくらいの規模にするのか、どのように運用するか検討すべきだと問題を提起したとします。それに対して彼らの立場は、「そうですね。少なくともしばらくは、基地を保持しておくべきでしょう」というものだったでしょう。 だから、返還を望んでいた政府関係者であった我々にとって、その問題を持ち出すことは、利益のあることではありませんでした。日本政府はこの問題を持ち出さなかったという点で賢明でした。というわけで、私の知る限りこの問題が論点になったことはありませんでした。もし日本政府が提起していたとしたら、それは国務省が行なっていた交渉の中でのことでしょう。しかし、それが真剣に議論されたとは思えません。我々の立場、とにかく返還を実現しようというものでした。 私もそうですが、国務省の大半の人間は、日米両政府で進行中だった在日米軍削減についての交渉に、沖縄の基地削減の問題も将来は含まれることになるに違いないと予想していました。やがて沖縄の基地も変わることになると思っていたのです。返還から30年たった今でも、この件について真剣に検討されてこなかったと聞いて驚きました。ある人から「基地は全く変わっていないよ」と言われたので、「そんなことはないはずだ」と答えたのです。 返還交渉の間、この問題を持ち出さなかったのは正しかったと思います。ただ、5年後には日本政府が、沖縄の米軍のあり方を変更することについて議論したいと言い出すに違いないと思っていました。しかし、言い出さなかったことに私は驚きを感じます。 なぜ日本政府が言い出さなかったか知らないし、私はその理由を考えてみたこともありませんでした。答えは謎です。本当に不思議なことです。

Q:もちろんアメリカの国防総省も提起しなかったし、国務省も持ち出さなかった。

そうです。米国務省は、米軍がもっと基地がいると言い出すか、日本がそんなに要らないと言い出すか、どちらかを待っています。彼らは、はっきりした立場をとらず、自分から問題を提起したりしません。イニシアチブを取ることはないのです。

Q:つまりあなたは、日本政府が、この問題を持ち出さなかったと記憶している訳ですね?

私の知る限りは、そうです。しかし、さっき言ったように、国務省との直接交渉の中で取り上げられた可能性はあります。そして、国務省が国防総省に報告したものの、国防総省が“それは予定にない”と言って、話が途絶えたのかもしれません。

実を言えば、軍事的な実情と政治的な実情は、時代とともに変化します。そして各国内の政治的実情は配慮されなければなりません。民主国家は、国民が根深く持つ観念を無視して外交政策をとることはできません。 そして、かつて私が沖縄の返還は必要だと信じたように、現在私は基地のありようについて根本的な転換が必要だと信じています。米国は、言いたいときにはいつでも、日本政府に対し、「日本政府は、現在ある米軍基地は必要だ、米国が新たに沖縄につくろうとしている基地も必要だと、国民を説得するべきだ」と言うことができると思っています。 しかし、そんなことはできません。そうはなりません。米軍は何でも必要なことを言えて、日本政府がそれを国民に説得すべきという立場をとるのは、事態を悪くするだけです。それは、軍事的なニーズはいつの間にか何かによって、あらかじめ決まっているという立場です。本来、軍事的ニーズは、どんな国であっても、政治的な実情の中で決められるものです。 だから、まず米軍が必要なものを決めて、日本政府がそれについて国民を説得するというやり方は、合理的ではありません。それぞれが何を望み、何が可能なのか、両国が、一方通行ではなく、双方向で対話に対話を重ねていくべきものです。


アメリカ外交と官僚―政策形成をめぐる抗争-1978年-モートン・H-ハルペリン

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