医学的な定義によれば肉食動物とはセルロース分解酵素を持たない動物。ということで、「牛」は肉食動物と言うことになるそうな・・・(@_@;)
2015/11/18
20151118本日の野良仕事
2015/11/16
公開前のOM-D E-M1新ファームウェアを試す マクロ撮影で威力を発揮する「深度合成」など - デジカメWatch
オリンパスのフラッグシップ機E-M1のファームがバージョン4になる。発売から二年なので半年ごとに更新してきたことになる。この気まじめな姿勢には好感が持てる。
今回のバージョンアップの目玉は以下の通りだという。
- 深度合成モード
- フォーカスブラケット
- OVFシミュレーションモード
- MFクラッチ機構/スナップショットフォーカス機構の無効化
ぼくの大注目は、「深度合成モード」だ。これがあれば100人力。後加工で面倒な深度合成の必要もなくなる・・・まぁ、よほどでないとやらないけどね。
どんなことが出来るのかというと、こんなことだ。
え?何の変哲も無いって?
ところがこれがたいしたことなのだ。
手前から奥までピントが合ってんだろ?
え?・・・「たったこれだけの範囲?」だって?
ほかのカメラで出来るならやってみろ!ってもんだよ。
ほんと、これがなかなか出来ない。同じカメラで素のまま手前から奥にピンを送ると以下のようになる。
ね?端から端までピントが合わないだろ?レンズ交換式の中でもこのピントの奥行きが広いマイクロフォーサーズにしてこのざまだ。素子の大きなカメラなどこういう絵は手も足も出なくってコンデジなどの方がかえってきっちりきれいに写る。そういうことなんだ。
オリンパスの今回の深度合成はこれら8枚連写でピント位置を順にずらして撮影したものをカメラの中で合成してあげましょうという。超とっても親切な機能なのだ。特に近接するので深度の浅くなるマクロには有効な処理だと思う。
これで、使わないので手放そうかと思っていたE-M1も手放さない立派な理由が出来たというわけだ。
この機能は、同じオリンパスのコンデジ。タフシリーズなどには数年前から搭載されている。演算量の多い処理なので良いアルゴリズムが見つかったのかもしれないね。
従軍慰安婦問題について何を語れば良いのか?
20151116 本日の野良
2015/11/15
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか – 矢部 宏治
2015/09/24
PC更新計画 その1
放置しているのは2011年の8月からだそうな・・・パーツは厳選しているので、少々の無停止でサーバ並みの稼働をさせてもびくともしないのは偉いところだ。
http://ameblo.jp/ichamaru/entry-10982622178.html
ということなのだが、いよいよCPUのプラットフォームがLGA1151、チップセットがZ170となり大幅なアーキテクチャの更新となるようなので、早速、調べてみることにした。
参考書はいつものようにDOS/V POWER REPORTだ。
・・・今時、DOS/Vってねぇ・・・何のことだかわかんないよねぇ・・・まぁ、歴史を感じさせると言うことで看板としてはいいのかもね。大正製薬よりも明治製菓の方がえらく感じるものね。
石は、6700Kか6600Kで決まりだ。
詳細は本を買ってもらうとして、現状新アーキテクチャの石は2個しか出てないのであまり比較できないが、旧世代の最上位機種より少しばかりベンチマークは優秀で、旧世代のウルトラチューン版には及ばないと言うことだ。まぁ、演算速度自体はそんなもんだろうけど、問題は今やそんなところにはなく、I/O に完全に移行してるんだね。メモリも新規格に準拠だし、ストレージの帯域が確保され新しいストレージデバイスをフル活用できるというのが新アーキテクチャのミソだね。
板は、ぼくはどうも最近ASUS以外の板と相性が悪くて浮気するとトラブルのでASUSできまり。このあたりの板がいいのだろうと思う。
この雑誌にSSD特集で現状の詳細が紹介されていたが、こいつには少々驚きだ。
SSDのPCへの接続方法は、現状以下の通りになっているようだ。ややこしいね。
要するに以下のようなことらしい。
ベンチマークを見て腰を抜かすのはこいつだ。
ベンチマークは驚きのこの結果だ。これを使うと別次元の機械になるだろうね。
次点のこいつもすごい。
ごく普通のスペックになったSATAのSSDの常識的な性能はこれだ。
これは、NVMe SSD に置き換えるしかないでしょう・・・高いけどね・・・会社で買ってもらえないかなぁ・・・無理っぽいなぁ・・・要らないもんこんな爆速PCなんて・・・・
ぼくは要るんだよ出来るだけハイスペックのCPUとメモリ速度、I/O速度が・・・4K動画の編集はそれほど無謀なスペックを要求するのです・・・・いや、ほんま・・・・(@_@;)
とは言いながら、結局、本体はHp や Lenovo、EPSON のワークステーションクラスにすると思います。
最近、素人の自作ではなかなかメーカーのチューンには性能も値段も敵わないのです。
2015/09/14
Diamonds Are A Girl's Best Friend
Marilyn Monroe- Diamonds are a girl's best friend
Jane Russell singing Diamonds are a Girl's Best Friend
Carol Channing - "Diamonds Are A Girl's Best Friend" (1957)
* Niclole Kidman * _ Diamonds Are A Girl's Best Friend
2015/09/13
Jane Monheit & John Pizzarelli - They Can't Take That Away From Me
Jane Monheit & John Pizzarelli - They Can't Take That Away From Me
2015/09/12
わかものに捧げる ソウル 入門 02’ RnB、ソウルって何じゃ?
そんなことはぼくに聞かれてもわかんないので、Wiki を見てみよう。歴史の話ばかりでも退屈するだろうから、ウダウダと小出しで書いてみようか・・・本論はもうちょっと後に出てきます。
リズム・アンド・ブルース(英: Rhythm and blues)は、音楽のジャンルである。略称はR&B(アール・アンド・ビー)またはRnB、RB。
スイング感のあるリズムとビートに乗りながら、叫ぶように歌うのが特徴。のちのロックンロールなどのジャンルにも影響を与えた。1940年代後半に、ジャズやブルース、ゴスペルといったブラック・ミュージックが発展する形で生まれた。概要
この用語は、1947年にビルボード誌のジェリー・ウェクスラーにより作り出された。ウェクスラーが、名付けるまでは、アフリカンアメリカンの音楽を「レイス・ミュージック」と呼び、ビルボード誌でも順位を「レイス・ミュージック・チャート」として発表していた。しかし1947年の或る週末、「もう、こういう名前で呼ぶ時代ではないだろう」「何か違う名前で呼ぼう、週末の間に皆で考えよう」とビルボード誌編集部で話が出た。次の火曜日にウェクスラーが「リズム・アンド・ブルースっていうのはどう?」と提案した事から、これが採用された。
ロックンロールもこの音楽の影響により生まれたが、当初はリズム・アンド・ブルースとロックンロールの間に明確な区別はなかった。その後、リズム・アンド・ブルースはソウルミュージックなどへ発展していった。(分類として、ソウルミュージックも内包する場合がある)
1960年代のアメリカで、黒人たちの地位向上によりさらなる彼等のアイデンティティを高揚し、アフリカンアメリカンとしてのルーツを誇示するための音楽として、よりモダンになったブラック・ミュージックの一つの形をリズム・アンド・ブルース(R&B)と呼ぶようになった。
ソウル(soul)あるいはソウル・ミュージック(soul music)は音楽ジャンル。基本的にはリズム・アンド・ブルース(R&B)の一種であるといえる。
1950年代から1960年代の初期にかけて、アメリカにおいてアフリカ系アメリカ人のゴスペルとブルースから発展しできた音楽の体系である。R&B、あるいはロックンロールといった黒人由来の音楽がポピュラー・ミュージックとして広く認知され、広範囲にわたって発展・拡大した1960年代、その頃のスタイルをさしてソウル・ミュージックと自然発生的に呼ばれるようになった。ソウル・ミュージックは大衆音楽であり、流行歌でもある。ゴスペル由来のコード進行、たたみかけるような覚えやすいリズム、コールアンドレスポンス、即興の多用などの特徴がある。R&Bや、1970年代から1980年代に使われたブラック・コンテンポラリーという言葉で表現された音楽との間で明瞭な境界は存在せず、レコード店の什器の区分やセールスチャートなど音楽のジャンル分けにおいても ソウル/R&B などのように同一のものとして扱われることが多い。1990年代に、歌ものを指して再びR&Bという言葉が使われるようになった。
うーん、これじゃ何のことかわからんじゃろう?ぼくもわからん。
まぁ、リズムアンドブルースというからには字義通りブルースにリズムがついたものということでいいだろうと思う。ソウルがややこしいが、ぼくらの頃にはソウルという呼称とRnBという呼称は両方流通していて融通無碍に使われていたので同義と捉えていいと思う。
ブルースという音楽は、Wikiによるとこういうことだ。
ブルース(Blues)は、米国深南部でアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽のひとつ、またはその楽式。19世紀後半頃に米国深南部で黒人霊歌、フィールドハラー(労働歌)などから発展したものと言われている。
アコースティック・ギターの弾き語りを基本としたデルタ・ブルース、バンド形式に発展したシカゴ・ブルース、ロックと融合したブルースロックなど、時を経て多様な展開をしている。
本来の発音は、ブルーズ[blú:z]である。
音楽の特徴
20世紀以降のポピュラー音楽に幅広く影響を与えた。ジャズやロックンロールのルーツのひとつとしても知られている。
ブルースの基本的な構成として、12小節形式(ブルース形式)で綴られる詩が多い。12小節形式の基本はA・A・Bの形式をとる。つまり、4小節の同じ歌詞を二度繰り返し、最後の4小節で締めの歌詞を歌う。これがワンコーラスとなる。
ブルース形式(12小節形式)のコード進行
ⅠⅠⅠⅠⅣⅣⅠⅠⅤⅤⅠⅠ
これらのローマ数字は、コード度数を表している。これが例えばキーがC (ハ長調)だとすると以下の通りとなる。
C、C、C、C、F、F、C、C、G、G、C、C
歌詞は、身近な出来事、感情を表現したものが多い。日常の幸せなことや憂鬱なこと(blues)を12小節に乗せて歌う。アメリカ南部の黒人たちにとって身近な存在だったギターは、伴奏楽器として適していたこともあり、初期のブルースはギターの弾き語りによるものが多かった。
キーAのマイナー ペンタトニックスケール
旋律に独特の節回しがあり、一般にブルー・ノート・スケールと呼ばれている5音階(ペンタトニック・スケール)で即興的に演奏される。特に短3度、減5度、短7度の音に用いられる微妙な音の「訛り」はクオーターと呼ばれ、ブルース独特の「音」であり、カントリーやジャズには基本的にみられない音である。ギターでは、「クオーター・チョーキング」=1/4音上げで演奏されることが多いが、厳密には1/4音と決まっているわけではなく、人それぞれ感覚的に上げて使っている。ピアノではこの音を出すのが不可能のため、3度の音の場合は、長短の二つの鍵盤をトリルしたり同時に打鍵したりなどのテクニックを用いる奏者もいる。また1950年代からはジャズの影響によって、(ブルー・ノート・スケール5音だけではない)テンション・ノートやテンション・コードが用いられるなど、洗練さを加えてきた。
シャッフルと呼ばれる、はねるリズムパターンが主流である。譜面上は便宜上、12ビート(12/8)とするか、はねた8ビート(8/8)の1拍3連の2拍目を休符にするか、1拍目と2拍目をつないだ形で表記されることが多いが、実際には均等に3等分したものではない。人によって微妙にリズムが異なり、ほぼ3連符の場合もあれば、16ビートに近いくらい後拍が遅れたもの(4連の16分音符の2拍目と3拍目を休符にしたもの)や、8分音符に近いものもある。ジャズの「スウィング」と似た部分もあるが、独特な後拍の強調があり同じではない。
ブルース形式でなくとも、タイトルに「〜ブルース」と付く曲も多く存在する。
ちなみに日本の歌謡曲の一つのスタイルとしてブルースと呼ばれるものもあるが、この項目のブルースとは音楽性は全く違い、メロディーやアレンジはムード歌謡の一種で、「憂鬱(Blue)な気持ちを歌った曲」という意味合いが強い。
まぁ、これを読んでも何のことだかわかんないと思うが、とりあえず聞いてみることにしよう。
Robert Johnson- Crossroad
Sweet Home Chicago
Bessie Smith - St. Louis Blues (1929)
RnB 以前のブルースはこんな感じだけど、モダンブルース系に関してはRnBとマディ・ウォーターズにしても、B.B キングにしてもRnBと全く同時代人と言ってもいい人なんだ。
Muddy Waters - Gypsy Woman
Muddy Waters- I'm Your Hoochie Coochie Man
T-Bone Walker - Call It Stormy Monday
BB King 3 O'Clock Blues original 1950 78
シャッフルというのは下のような感じだ。一拍に三つ音符おいて真ん中を抜いてはねる感じにしたものと考えておけば良い。一拍がタータで、一小節が、タータ、タータ、タータ、タータという感じ。
B.B. King - Everyday I Have The Blues (Live)
A+++ Blues BB King & Joe Louis Walker - T-Bone Shuffle (Blues Summit 1993).mpg
要は、ブルースにおいてリズムの肝は三連のリズムのつかみ方だ。
三連は初出か・・・スローブルースで聴いてみるか?
非常にゆったりしたリズムだし、頭の方はノリがつかみにくいだろうけど、中程からホーンやピアノが一拍に3回コードを引いてくれているので、(タタタ、タタタ、タタタ、タタタで一小節)うねるようなリズムに乗れるだろ?じつは、ドラムのハイハットもこれを叩いている。これが三連のノリだよ。ブルースはこのノリが身についてないと全く手も足も出ない。
RnBでブルースの3連やシャッフルとかをやっちゃうともろブルースになるのでそんなのは区別する意味がない。
でも、ロックンロールの8ビートのような単調なものでもない。
Chuck Berry - Johnny B. Goode (Live 1958)
Chuck Berry - Roll Over Beethoven
では、RnB のリズムとはなんじゃ?と聞かれると困る。
リズムにはダウンビート、アップビートやバックビートというのがあるらしい。どうもここいらがミソという気がする。と、まぁ、そんな難しいことを今の段階で言いだしても仕方がないので、とりあえず、ブルースに新しいリズムがついたということでしばらく置いておこう。
とりあえず、RnBの中心人物 サム・クック、レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウン、ウィルソン・ピケット、アレサ・フランクリン、マーヴィン・ゲイなどがゴスペルと深い関わりを持つと言うことだけは確かなことだ。
ここで、R&Bのルーツのひとつであるゴスペルのビート感を聞いて欲しい。ゴスペルでも有名でノリのいい曲だ。ポップスに馴染んでいるぼくたちには、すでにおなじみのリズムではある。でも、このノリは普通のノリと違う感じがしないかい?
このビート感がキモのひとつだと思う。まぁ、とにかく、このリズム感を感じてくれ。東洋人のぼくたちには不思議なノリだ。
Can't Nobody Do Me Like Jesus
2015/09/11
わかものに捧げる ソウル 入門 03 公民権運動
ここから、しばらくはアメリカの戦後の歴史に関してのお勉強をしていただく。この一連の流れを頭に置いておかないと、ぼくたちが憧れてやまないアメリカの音楽の訴えているものが見えてこないのだよ。特に、POPミュージックは、ある時点から歴史を変えていこうとする若者たちを支え、鼓舞する象徴的な意味を持つこともあったのだ。その渦中にソウルミュージックもあったわけだ。
退屈だと思わずに、じっくり学習して欲しい。アメリカという国の一端も見えてくるだろう。なので、心してみて欲しい。
これはリンカーンの時代の話ではないんだよ。
市民の20世紀 第19回「人種差別との闘い」
公民権運動1 エメット・ティル
公民権運動2 バスボイコット ローザ・パークス キング牧師
公民権運動3 リトルロック ナイン
公民権運動4 ジェイムス・メレディス
公民権運動5 オルバニー闘争 (ウォレス知事の就任演説)
公民権運動6 バーミングハム闘争とワシントン大行進その1
公民権運動7 バーミングハム闘争とワシントン大行進その2
公民権運動8 メドガー・エバーズ
公民権運動9 フリーダムサマー その1
公民権運動10 フリーダムサマー その2
公民権運動11 セルマの橋 その1
公民権運動12 セルマの橋 その2
次回もキング牧師についてだ。
joan baez- WE SHALL OVERCOME- live1965
わかものに捧げる ソウル 入門 02 アメリカの戦後
まずは、ソウルミュージック誕生の時期と重なるアメリカの戦後史の流れを確認しておこう。この項は、思いつき、 殴り書きなので、たびたび改稿の予定だ。詳細はたぶん記事の中に書き込めると思うのだが自信はない。
アメリカの戦後を乱暴にまとめてしまうとこういうことになる。
外交分野ではこういうことだ。
戦後の世界は、アメリカを中心とした資本主義国家の集団とソビエトを中心とした共産主義国家の集団に二分される。
資本主義陣営は、西ヨーロッパの諸国連合とアジアのアメリカ支配地域と、ソビエトが独ソ戦で通り抜けた東ヨーロッパ地域、そして、各地の資本主義諸国の植民地支配下にあった発展途上国に二分されることになる。
この2陣営が真っ向からぶつかり合ったのが終戦直後の1950年に勃発した朝鮮戦争となる。戦いは拮抗し、現在も北朝鮮、韓国に二分されたままである。
以降、国連の常任理事国が両陣営に別れ、実際に銃弾をかわし真っ向からぶつかることはなく、各地の植民地独立運動を共産主義諸国が支援し、資本主義諸国の植民地支配は徐々に解消されていくことになる。ただ、米帝、ソ帝の支配という別の形態をとるということになった。以降、ソビエトが国家経営に行き詰まり弱体化するまでこの2陣営に分断された時代を冷戦期(Cold war)といい、現在の目から見ると2陣営が激しく対立はしているがその力のバランスがとれていたので、それぞれ米帝、ソ帝の支配の元ではあるが非常に安定的な国家経営が出来た時代だった。
それぞれの陣営は、経済的に発展し、特に資本主義諸国の発展は高度成長時代に入り、豊かさが国土の隅々まで行き渡るようになった。共産圏は、各共産党指導の下、独裁的な政治運営のため、資本主義ほどの経済発展を得ることは出来なかったが、まぁ、それなりの運営をしなんとか軍事力を維持していた。
資本主義諸国では、経済発展に伴い余裕の出てきた民衆の力により、国内での政治問題が噴出するようになる。特に、アメリカでは人種問題、特に黒人の地位向上の問題が大きな問題となり、次いで、女性の権利の問題が厳しく追求されるようになる。
そのさなかに、発生するのがキューバ危機とベトナム戦争だ。キューバ危機は、革命政権により独立したキューバに核ミサイルを配備しようと試みたソ帝、キューバをアメリカが実力でもって封鎖し、米帝、ソ帝が真っ向から戦闘状態に入る、まさに一歩手前までいってしまった。危機一髪の出来ことだった。ケネディ v.s. フルシチョフ のガチの戦いだった。
【1962年10月22日】 キューバ危機 米ソが核戦争直前に
それでは、次に米帝の国内問題に目を向けてみよう。
同じく、ケネディ政権下で米帝はベトナムの独立運動を阻止すべく介入することになる。ケネディ暗殺の後もジョンソンに受け継がれ、ニクソンは解消しようとするも初期においてはその戦争遂行を継承していた。この何のために行われているかよくわからない戦争に若者たちが異議を申し立てたのだ。
翻ってみると第二次世界大戦では、米帝は欧州戦線、太平洋戦線に1660万人に及ぶ人員を投入し、41万人を超える戦死者を出したが、民主主義の大義名分の元その戦争の意味を問い返されることはなかった。
しかるにベトナム戦争においては、たかが250万人の派兵と死者不明者併せて約6万が大問題になったのだ。要するに経済発展と民衆が情報を得ることが出来るようになって人間の価値が上がったと考えてもよい。
アメリカは、国内的に人種差別問題、反戦運動、戦争による国力低下、新興資本主義国の経済・技術の発展による米帝の経済支配力の低下など一挙に難問が積み上げられることになってしまった。
次回からは、少し音楽から離れて歴史の話に入る。もちろん動画なので苦もなく学習できるはずだ。
1945-4-12ルーズベルト(1882~)没、トルーマン、アメリカ第33代大統領に就任(~1953)
1945-4-25国際連合設立会議
1945-12-7ブレトン・ウッズ協定発効。国際復興開発銀行設立
1947-3-12トルーマン・ドクトリン
1947-10ハリウッドの赤狩り
1948-1全米大陸労働者総同盟結成
1948-4-3マーシャル・プランによる対外援助法
1950-2-20アメリカでマッカーシー旋風
1950-6-27朝鮮戦争派兵命令
1950-7-7アメリカで初のカラーTV放送
1951-1-27アメリカとNATO(北大西洋条約機構)加盟国、相互安全保障(MSA)協定
1951-9-1太平洋安全保障条約調印
1952-11-1アメリカ、水素爆弾実験
1952-11-4アイゼンハワー、アメリカ第34代大統領に当選(在任1953~1961)
1953-3アメリカで再びマッカーシー旋風
1953 この年、アメリカ、全国黒人向上協会「自由のための10年闘争」を計画
1954-5-17アメリカ最高裁、公立学校の人種差別に違憲判決(人種問題)
1954-7-21アメリカ、ジュネーブ協定調印拒否
1954-8-24アメリカ共産党非合法化
1955-1-1アメリカ、南ベトナム援助開始
1955-12-6アラバマ州モントゴメリーでキング牧師の指導下、バス・ボイコット運動始まる
1956-3-12アメリカ南部議員100名、人種統合反対宣言
1957-10スプートニク・ショック
1957-12-17アメリカの大陸間弾道弾(ICBM)実験成功(ミサイル)
1958-1-31アメリカの人工衛星エクスプローラ1号打上げ
1959-1-1キューバ革命。バチスタ亡命
1959-2-16カストロ首相就任
1960-11-8ケネディ、アメリカ第35代大統領に当選(在任1961~1963)
1961-1-17アイゼンハワー告別演説で軍産複合体に警告
1961-5-1キューバ社会主義共和国宣言
1961-5-21アラバマ州で人種差別反対運動、暴動化、戒厳令施行(人種問題)
1962-2-8アメリカ、南ベトナムに軍事援助司令部設置
1962-10-22~28キューバ危機(アメリカ、海上封鎖、11-20解除)
1963-4-2アメリカで人種差別反対黒人デモ始まる
1963-8-28人種差別反対ワシントン大行進
1963-11-22ケネディ暗殺、ジョンソンアメリカ第36代大統領に就任(~1969)
1964-7-2アメリカで新公民権法成立
1965-2-21アメリカの黒人運動指導者マルコム・エックス暗殺される
1965-3アメリカでベトナム反戦運動激化
1965-4-17ワシントンでベトナム停戦要求デモ
1965-8-6~10ワシントンでベトナム反戦平和行進
1966-3アメリカ各地でベトナム反戦デモ
1967-7-12黒人暴動、のちアメリカ各地に拡大(~8)
1967-10-16~23ベトナム反戦週間(~21 ワシントン反戦集会)
1967-12-6~8アメリカで反戦兵役拒否デモ
1968-3-16南ベトナムのソンミ村でアメリカ軍が一般住民を大量虐殺(ソンミ事件)
1968-4アメリカで学生運動激化
1968-4-4キング牧師暗殺さる。黒人暴動続発
1968-6-5アメリカ民主党の大統領候補ロバート・ケネディが狙撃され、翌日死亡
1968-6-19「貧者の行進」10万人集会(ワシントン)
1968-10-11ジョンソン、北爆全面停止と和平会談への参加を声明
1969-1-20ニクソン、アメリカ第37代大統領に就任(~1974)
1969-6-8ニクソン、南ベトナムからの米軍撤収計画を発表
1969-7-20アメリカの宇宙船アポロ11号、月面着陸
1969-8-15アメリカ、ニューヨーク州ウッドストックでロック・フェスティバル、聴衆40万人
1969-10-15アメリカで反ベトナム戦争大デモと集会
1969-11-13~15反ベトナム戦争デモ
1970-2-18ニクソン平和三原則を発表
1970-4-27ニューヨーク株式市場大暴落
1971-4-23ワシントンでベトナム反戦デモ
1971-8-15 ドル・ショック ドル紙幣と金との兌換一時停止
1972-2-7ニクソン訪中
1972-7-19アメリカ連邦準備制度理事会ドル買支え
1973-1-27アメリカ、徴兵制廃止
1973-3-29アメリカ軍、南ベトナムより撤退
1973-4ウォーターゲート事件。5-17 上院公聴会(~1974)
1973-8-22アメリカ国務長官にキッシンジャー就任
1974-6-27ニクソン訪ソ
1974-8-8ニクソン大統領辞任。8-9 フォード大統領就任
1975-2-21ウォーターゲート事件判決、ミッチェル元司法長官ら有罪
1975-10-29全米でウーマン・リブによる初の女性ゼネスト
1976-2-4アメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会公聴会でロッキード社の賄賂工作暴露
1976-5-28米ソ、平和目的の地下核実験制限条約調印
1976-7-4アメリカ、独立宣言200周年記念祭
1976-11-3アメリカ大統領選挙、民主党のカーターが共和党のフォードを破り当選(1977.1-20 大統領に就任)
1977-2-9アメリカの連続テレビ映画「ルーツ」(アレックス・ヘイリー原作)、平均視聴率35%を記録、テレビ史上最高
1977-5-3アメリカ・ベトナム国交正常化交渉、パリで始まる
1978-1-4アメリカのカーター大統領、エジプトのサダト大統領とアスワンで会談、中東和平三原則発表
1978-9-5アメリカ、キャンプ・デービッドでアメリカ大統領カーター、エジプト大統領サダト、イスラエル首相ベギンが中東和平3国首脳会談(~17 サダト、ベギン両首脳、3か月以内の単独平和条約締結のキャンプ・デービッド合意)
1979-1-1アメリカと中国が国交回復。アメリカは台湾と断交
1979-1-30アメリカ、78年度貿易収支が283億6000万ドルの史上最大の赤字を記録。うち116億ドルが対日赤字
1979-3-28アメリカ、ペンシルベニア州スリー・マイル島原子力発電所で大量の放射能漏れ事故発生
1979-6-16米ソ首脳会談(ウィーン)で、SALT条約(戦略兵器制限交渉)など4文書に調印
1979-11-4イランのテヘランでイスラム系学生らによる米大使館占拠事件発生
1980-1-4カーター、ソ連のアフガニスタン介入に対する報復措置を発表(~20 モスクワ五輪ボイコット・開催地変更を提唱)
1980-11-4アメリカ大統領選挙で共和党のレーガンが圧勝(8.11-20 大統領に就任)
1980-12-8ジョン・レノン、ニューヨークで射殺される
1981-2-18レーガン、国防費を増大し他の支出を削減する経済再建計画(レーガノミクス)発表
1982-3-15ニカラグアで、反革命政権の右翼ゲリラ、コントラよる爆発事件発生
1982-6-12ニューヨークで100万人の国際反核デモ
1985-3-26アメリカ連邦最高裁、同性愛者の権利を認める判決を下す
1985-9-9アメリカが南アフリカのアパルトヘイトに経済制裁発表
1985-9-22ニューヨークで日本・アメリカ・イギリス・フランス・西ドイツの先進5か国財務相・中央銀行総裁会議(G5)開催、ドル高是正の経済政策協調推進で一致(プラザ合意)
1987-10-19ニューヨーク株式市場、508ドルの大暴落、史上最大(ブラック・マンデー)。世界の株式市場に波及
1988-11-8アメリカ大統領選挙、共和党のブッシュが当選(1989.1-20 大統領就任)
1989-8-10パウエル、黒人として初のアメリカ統合参謀本部議長就任(~93年)
1989-9-27ソニー(株)がアメリカの映画会社コロンビアを買収
1989-11-7ニューヨーク市で初の黒人市長
ビリー・ホリデイはこの一曲を歌うために生を受けたのではないか?と思われるほどの鬼気迫る名曲中の世紀の名曲だ。
Billie Holiday - Strange Fruit
奇妙な果実(きみょうなかじつ、原題:Strange Fruit)は、ビリー・ホリデイのレパートリーとして有名な、アメリカの人種差別を告発する歌である。この曲が書かれたころ、まだアメリカ南部では黒人を縛り首にして木に吊るすリンチがしばしば発生した。(※2014年現在でも、黒人が木に吊るされる事件はしばしば発生しており、2013年にもニュースで扱われている。この曲が書かれた頃は、今のように犯罪の被害者としてニュースで扱ってもらえるような人権が、黒人にはなかった。)「奇妙な果実」とは、木にぶら下がる黒人の死体のことである。ビリー・ホリデイは自伝の中で自分も作曲に関わったと主張しているが、実際には作詞者であるルイス・アレンが作曲も1人で行なったことが明らかになっている。
歌詞
Southern trees bear strange fruit (南部の木には奇妙な果実がなる)
Blood on the leaves and blood at the root (葉には血が、根にも血を滴たらせ)
Black bodies swinging in the southern breeze (南部の風に揺らいでいる黒い死体)
Strange fruit hanging from the poplar trees. (ポプラの木に吊るされている奇妙な果実)
Pastoral scene of the gallant south (美しい南部の田園に)
The bulging eyes and the twisted mouth (飛び出した眼、苦痛に歪む口)
Scent of magnolias sweet and fresh (マグノリアの甘く新鮮な香り)
Then the sudden smell of burning flesh. (そして不意に 陽に灼ける肉の臭い)
Here is a fruit for the crows to pluck (カラスに突つかれ)
For the rain to gather for the wind to suck (雨に打たれ 風に弄ばれ)
For the sun to rot for the trees to drop (太陽に腐り 落ちていく果実)
Here is a strange and bitter crop. (奇妙で悲惨な果実)
2015/09/10
わかものに捧げる ソウル 入門 01
なかなかあがらない腰をやっとこあげて、音楽ネタの長編に取り組みたいと思います。
通史として
魂のゆくえ ピーター・バラカン
普通はこれ一冊を読めばいい。
バラカンの音楽に対する愛情がギッチリ詰まっている良書だ。
スウィート・ソウル・ミュージック―リズム・アンド・ブルースと南部の自由への夢 ピーター ギュラルニック
次に、サザンソウルを中心とした通史。かなりの長編なので好き者は読めばいいと思うが、通り一遍の知識を得たいというのならバラカンの本で十分でこれは必要ないだろう。
私はリズム&ブルースを創った ―― 〈ソウルのゴッドファーザー〉自伝 ジェリー・ウェクスラー
スタックスレコード物語 SOULSVILLE U.S.A. ロブ ボウマン
まづは、リズムアンドブルースって何?って人にはこの辺を聞いて置いてもらおう。
とりあえず、駆け足で美味しいところを摘まみ食いだ。
Ray Charles - What'd I Say
Sam Cooke - You Send Me (Live)
James Brown performs "Please Please Please" to a live audience on the TAMI Show.
Smokey Robinson & Sheryl Crow - "You've Really Got a Hold on Me"
Wilson Pickett - In The Midnight Hour
the supremes where did our love go
The four tops - I can't help myself
The Temptations - My Girl
1964-Fingertips--LITTLE STEVIE WONDER
Otis Redding Sings Respect
Sam & Dave - Hold On I'm Comin' (Live in 1967)
Aretha Franklin - Respect (1967) HD 0815007
Marvin Gaye - What's Going On HD
Donny Hathaway - You've Got a Friend
Curtis Mayfield - People Get Ready