2013/09/03

アメリカン・アニメーションの黄金時代 2 - wiki

アニメーションの品質においてディズニーに最も肉迫した競争相手は、パラマウント映画によりカートゥーン映画を配給していたフライシャー・スタジオの代表者マックス・フライシャーであった。サイレント期を通じてアニメーションの改革と創作を行い続けてきたフライシャー兄弟は、セクシーな『ベティ・ブープ』物とシュールな『ポパイ』物によって大当たりを飛ばした。


Betty Boop: "Boop-Oop-A-Doop"

Popeye - Fleischer cartoon - With Little Swee'Pea (1936) (old free funny cartoons public domain)

1930年代のポパイの人気は当時のミッキーマウスのそれに匹敵し、ミッキーのファンクラブを模したポパイ・ファンクラブがアメリカ中で発生した。しかしながら、1930年代初期に最高潮に達した映画内の不道徳描写に対する抗議活動により、映画産業は1934年に映画内の暴力・猥褻描写を一掃するヘイズ規制(Production Code)を採用した。この自主検閲制度はミッキーマウスのようなカートゥーン作品にまで適用され、その行いを改めさせることを強制した。この変化の中でベティ・ブープからセクシーさを奪われたフライシャー兄弟はとりわけ手痛い打撃を受け、この時期のフライシャーの作品からは熱意と創造性の多くが失われてしまったかのように見えた。1930年代後半にディズニーを模そうとする浅はかな試みを行っていたフライシャーは、多数の記憶に残らない作品しか残せなかったが、『ポパイ』シリーズは依然として根強い人気を保っていた。

一方で元ディズニーのアニメーターヒュー・ハーマンルドルフ・アイジングは、ワーナー・ブラザースの配給するカートゥーン作品を制作する契約を結んだ、新設されたばかりのレオン・シュレジンガー・スタジオに移籍した。ハーマンとアイジングはここで彼ら自身の作品を制作した。これらの作品は単体で見れば成功していたものの、ハーマンとアイジングはディズニーのような革新的な才能を欠いており、彼らの作品の多くは「かわいらしさ」という欠点ゆえに、観客に見た目のインパクトを与えるのに失敗していた。1930年代前半のハーマンとアイジングによるワーナー・ブラザース作品の多くは、今日では忘れ去られている。これらはカートゥーンの改革を志した正統派作品であったが、ディズニーの成功を模するには至らなかった。

しかしながら、1935年にシュレジンガーが新しく雇ったアニメーション監督により、このスタジオは俄然活気を増すこととなった。テックス・エイヴリーである。エイヴリーは荒々しく風変わりな作風のアニメーションをこのスタジオに持ち込み、ワーナーは一躍アニメーション業界の首位に上り詰めた。エイヴリーの影響によりワーナーが新たに生み出したポーキー・ピッグダフィー・ダックバッグス・バニーその他の無数の人気キャラクターたちの名は、全世界に広まった。

ルーニー・テューンズ Looney Tunes


Porky's Railroad (1937) - Old Classic Vintage Kids Cartoon Animation

Daffy Duck Cartoon | Scrap Happy Daffy [HD]


All this and rabbit stew


Looney Tunes Super Stars Tweety and Sylvester -- Admirer

ハーマンとアイジングはワーナー・ブラザースを離れてメトロ・ゴールドウィン・メイヤーカートゥーン・スタジオに移籍し、より好待遇の下で高予算のカートゥーンを制作し始めた。彼らがMGMで制作した無数の豪華なアニメーション作品は、魅惑的なまでに優れたアニメーション場面を特徴としていた。しかし、ハーマンとアイジングの物語描写のスタイルはMGM作品の欠点でもあった。目にも鮮やかな視覚美術の前に、物語そのものはしばしば忘れ去られた。1930年代を通じてMGMスタジオはこの状況に甘んじていたが、その作品はしばしばアカデミー賞の候補となった。

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