昨日の続きだけど、もちろん、こういうレジェンドは、頭の中でメロディは、もちろん、コードもベースラインも即興で鳴っていてそれが音に出せるのだね。すさまじいことだと思う。
Joe Pass - They Can't Take That Away From Me [1992]
"JazzBaltica" Opernhaus, Kiel (Germany) October 24, 1992
Joe Pass - Guitar
昨日の続きだけど、もちろん、こういうレジェンドは、頭の中でメロディは、もちろん、コードもベースラインも即興で鳴っていてそれが音に出せるのだね。すさまじいことだと思う。
Joe Pass - They Can't Take That Away From Me [1992]
"JazzBaltica" Opernhaus, Kiel (Germany) October 24, 1992
Joe Pass - Guitar
どうもギターという楽器とベースという楽器は似て非なるものという気がしてきた。
べつに姿形大きさや、弦の太さ、音の高さの話をしているのではない。
演奏する人種の頭の中の構造が全く違うのだよ。
ぼくは、ロック系のギター入門者をおおかた40年もやってるのだけれど、ああ、これは違うことを考えてるなぁ・・・・とつくづく思うんだよね。
ギター入門者にとどまっていると、バッキングなどは、覚えておる決まったパターンから抜け出すことが出来なくてイディオムの蓄積だけが命という感じになってしまって、伴奏が本当に単調になりソロが回ってきたときだけ思いっきり前に出ようとする感じか・・・
ひきかえベースのあんちゃんは、いつも淡々とルートやコード音をくれてしっかり脱線しないように引っ張ってくれている。単音だけれどリズムとコード感を淡々と提供してくれている。ほんと迷子になりそうになったら、テンポはドラムもくれるんだけど、コードまでもはくれないから、ベースは本当に頼りになる。
要はギター入門者はリフやコードの押さえ方はわかってはいるが、そのコードの音の意味などは意識せずにかき鳴らしているだけなのだ。その点、ベーシストは常にコードを意識しているのだと最近気がついた。
おいおい・・・という話ではある。
全く困ったものだ・・・・・我ながら鈍いにもほどがある。
James Jamerson Tribute
ジェームス・ジェマーソンジェームス・ジェマーソン(James Lee Jamerson、1936年1月29日 - 1983年8月2日)はアメリカのベーシスト。アメリカ合衆国サウスカロライナ州チャールストン出身。 1960年代から70年代初頭におけるモータウン黄金期のベーシストである(1971年になって初めてモータウンにより彼の名がレコードにクレジットされた)。
ジェマーソンは近代音楽において最も影響のあるベーシストとして知られている。没後17年が経った2000年にロックの殿堂入りを果たした。
使用機材
ジェマーソンの使用していたダブル・ベースはドイツ製のアップライト・ベースである。10代だった頃にこれを手に入れ、モータウン時代にもメリー・ウェルズの「My Guy」 や、マーサ&ザ・ヴァンデラスの「Heat Wave」などのヒット曲で使用した。
ジェマーソンは、モータウンで仕事を始めたあともしばらくアップライト・ベースのみを使用していたが、1960年に友人のホレス“チリ”ルースからエレクトリック・ベースを使うように説得され、ホレスが所有していた1957年製のフェンダーのプレシジョン・ベースを譲り受ける。このベースは、ボディが黒に塗り直されており"Black Beauty"と呼ばれていた。
ジェマーソンが自身のキャリアーのほとんどを通して使い続けたのが、1962年製のサンバーストフィニッシュのプレシジョン・ベースである。Black Beautyは盗難に遭ってしまい、これが彼にとって2本目のベースとなる。ピックアップ・フェンスとブリッジガードは、購入時と同じ状態で取り付けられている。演奏時のヴォリュームとトーンのノブは全開であった。このベースもジェマーソンの死の数日前に盗まれてしまい、現在も見つかっていない。彼はこのベースに"FunkMachine"と名付け、ネックのジョイント部分に「Funk」と刻み込んでいたと言うが、彼のファンが同様なことをしたと言われており、生前彼が使用していたベースを発見する事自体が非常に困難になっているとすら言われている。
弦はLa Bellaのヘヴィ・ゲージ(.052-.110)を使用していた。ジェマーソンはフラット・ワウンドの弦を張り、ほとんど変えることはなかった。指板からの弦高は非常に高く、アップライト・ベースの感覚に近づけていたと思われる。しかしあまりに弦高が高いがゆえに、このベースでの演奏をした者は誰しも「とても演奏できるセッティングではない」と言ったほどであった。 このセッティングにより演奏が困難になる一方で、ジェマーソン本人はこれが良質のトーンを生み出すと考えていた。ブリッジの下にはスポンジを押し込み、サステインを減らす工夫をしていた。70年代に入り、プロデューサーより派手な音を得るためにラウンド・ワウンドの弦に変えるように言われたが、ジェマーソンはこれを拒否した。
ストイックな印象の強いジェマーソンだが、ベースとアンプをワイヤレスで接続する装置や、ハグストロームの8弦ベースを使うなど、新奇性を求めた逸話もいくつかある。また、生前にフェンダーの5弦ベースを所有しており、本人の死後、自宅に残っていたベースは前述のアップライトとこの5弦ベースであった。
クラブで演奏を行うときのアンプはアンペグのB-15を使用していた。広い会場においては青色人工皮革張りの Kustom 社製15インチツイン・スピーカーアンプを使用していた。いずれのアンプにおいても、Bassのツマミは全開にし、Trebleのツマミは半分ほどしか上げなかった。レコーディング時には、ベースを直接ミキシング・コンソールのヘッド・アンプ部分に接続してレコーディングを行っていた。
演奏法
ジェマーソンがアップライト・ベースからエレクトリック・ベースへ転向する上で引き継がれたのが、自身のピッキング法である。ジェマーソンは右手の人差し指のみでピッキングを行い、小指はピックアップ・フェンスの上におき、親指で残りの弦をミュートした。このことから彼の右手人差し指には「ザ・フック」という愛称がつけられたほどである。1本指で複雑なフレーズを演奏できたのは、開放弦を多用していたことに加え、1回のストロークで複数の弦をピッキングするレイキングの技術に長けていたからだと考えられる。そのため、ほとんどのフレーズは5フレット以下のポジションで演奏したといわれる。ただし、曲によっては人差し指と中指のツーフィンガーで演奏することもあった。ワンフィンガー奏法を得意とするベーシストのチャック・レイニーは、ジェマーソンからツーフィンガー奏法を強くすすめられたと述懐している。
『彩(エイジャ)』(Aja)は、ロック・バンド、スティーリー・ダンが、1977年にABCレコードからリリースした6作目のアルバム。
概要
同バンドのアルバム中で最高の売り上げを記録した。アメリカ合衆国のチャートで3位、イギリスのチャートで5位を記録し、同バンド初めてのプラチナアルバムとなった。1978年7月に、このアルバムはグラミー賞の最優秀録音賞、ノン・クラシカル部門(Best Engineered Album, Non-Classical)を受賞した。
このアルバムはソウルと、洗練されたジャズなどの混合による傑作であると評価されている。8分間に及ぶ表題曲は、複雑なジャズ的転調と、サクソフォーン奏者ウェイン・ショーターによるソロ、そしてドラマーのスティーヴ・ガッドによる巧みなドラム演奏などが含まれている。また、数十人に及ぶ腕利きミュージシャンが参加している。
アルバムのジャケットに写っている女性は、日本人モデルの山口小夜子である(写真:藤井秀樹)。
『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』に於いて、145位にランクイン[8]。
収録曲
全曲Walter BeckerとDonald Fagen作詞・作曲。
ブラック・カウ - Black Cow 5:10
彩(エイジャ) - Aja 7:57
ディーコン・ブルース - Deacon Blues 7:37
ペグ - Peg 3:57
安らぎの家 - Home at Last 5:34
アイ・ガット・ザ・ニュース - I Got the News 5:06
ジョージー - Josie 4:33
収録メンバー
メインメンバー
- ウォルター・ベッカー - ベース、ギター、エレクトリックギター、ボーカル
- ドナルド・フェイゲン - シンセサイザー、キーボード、ボーカル、バックグラウンドボーカル、ホイッスル
- ラリー・カールトン - ギター、エレクトリックギター
- ピート・クリストリーブ - フルート、テナーサクソフォーン
- ゲイリー・コールマン - パーカッション
- デニー・ダイアス - ギター
- ヴィクター・フェルドマン - パーカッション、ピアノ、キーボード、エレクトリックピアノ、ヴィブラフォン
- ヴェネッタ・フィールド - ボーカル、バックグラウンドボーカル
- チャック・フィンドレイ - ホーン、ブラス
- スティーヴ・ガッド - ドラムス
- ジェイ・グレイドン - ギター、エレクトリックギター
- エド・グリーン - ドラムス
- ポール・グリフィン - キーボード、エレクトリックピアノ、ボーカル、バックグラウンドボーカル
- ドン・グロルニック - キーボード、クラヴィネット
- ジム・ホーン - フルート、サクソフォーン
- ポール・ハンフリー - ドラムス
- リチャード・ハイド - トロンボーン
- スライド・ハイド - ブラス
- プラス・ジョンソン - フルート、サクソフォーン
- ジャッキー・ケルソー - フルート、ホーン、サクソフォーン
- ジム・ケルトナー - パーカッション、ドラムス
- スティーヴ・カーン - ギター
- クライディー・キング - ボーカル、バックグラウンドボーカル
- レベッカ・ルイス - ボーカル、バックグラウンドボーカル
- リック・マロッタ - ドラムス
- シャーリー・マシューズ - ボーカル、バックグラウンドボーカル
- ルー・マクレアリー - ブラス
- マイケル・マクドナルド - ボーカル、バックグラウンドボーカル
- マイケル・オマーティアン - ピアノ、キーボード
- ディーン・パークス - ギター
- ビル・パーキンス - フルート、ホーン、サクソフォーン
- バーナード・"プリティ"・パーディ - ドラムス
- チャック・レイニー - ベース
- リー・リトナー - ギター
- ジョー・サンプル - キーボード、エレクトリックピアノ、クラヴィネット
- ティモシー・B・シュミット - ベース、ボーカル
- トム・スコット - 指揮、フルート、テナーサクソフォーン、リリコン
- ウェイン・ショーター - フルート、テナーサクソフォーン
製作
平成27年8月14日内閣総理大臣談話
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣 安倍 晋三
Stitched Up Lyrics from Possibilities
Exactly how you hear it
Is exactly how it all went down
It was later in the evenin'
That the facts and the figures got turned aroundIt's true there was a woman
And yes, she did advance my way
And I can't be sure exactly
But I swear I saw her say my nameIt was the right time
She was the real thing
I had to walk away
See, don't wanna beStitched up
Out of my mind, feelin'
Strung out
Laggin' behind, all
Trapped in
Can't do a thing, because I'm
Locked downStitched up
Feelin' the burn, all
Strung out
Finally learned that
Trapped in, I can't [you] do a thing, because I'm [you're]
Locked downI wonder where she came from
I wonder where she's gotta go
Who's to say she's single? Who's to say she's on her own?
-Girls like that don't sleep alone-[Talking]
That girl is flawless
And I know I'm not the first one to think that
And since I'm not the first
I sure won't be the last
Spend my whole life lookin' behind my back?
I just don't think I'm up to thatStitch me up
String me out
Trap me in
Lock me downSongwriters
HANCOCK, HERBIE / MAYER, JOHNPublished by
Lyrics © Sony/ATV Music Publishing LLC, REACH MUSIC PUBLISHINGRead more: Herbie Hancock - Stitched Up Lyrics | MetroLyrics