唐突に始まったこのブログだが、零戦の話題の伏線はFACEBOOKや他のブログにあるんだけど、切っ掛けは宮崎の「風立ちぬ」だ。
今年は、宮崎駿が堀越二郎をやると言うことで、俄に日本の航空技術に関する注目度が上がっているが、そんな中、是非とも記憶に残しておいて欲しい日本人がもう一人いる。
その人は、「二宮忠八」という人である。概略は以下の動画をご覧いただけば分かる。
ライト兄弟よりも先に飛ばした、二宮忠八。(飛行器)
公開日: 2012/07/21
二宮忠八 (1866年-1936年)
陸軍・松山連隊の薬剤手であった二宮忠八。
1891年4月29日 日本初の動力飛行。(カラス型飛行器)。
(高度1m、飛行距離30m)
...次に人の乗れる玉虫型飛行器を考案、
1893年に 設計を完了し試作実験に入る
1894年 日清戦争に出兵。
(独力で作るしかないと決意し軍を除隊)
1898年 大日本製薬㈱に入社し職工として活躍。
(条件や資金も貯えられため)
1900年 京都府八幡町にて、完成に向けて努力。
1903年12月 アメリカのライト兄弟が飛行機を完成。
これにより、二宮忠八は、製作を断念。
(ライト兄弟の真似と評価をされるため)
1915年 飛行神社を創建。
(航空安全と航空事業の発展を祈願)
1919年 軍部は二宮忠八の研究を評価。
☆〈後世に広く認知されなかった理由〉
「特許」という形にならなかったのも原因。
☆「飛行器」の名付け親。後、1901年森鴎外が「飛行機」と使用。
(飛行神社HP・二宮忠八飛行館HPや、
古典航空機電脳博物館HPの日本・民間航空の曙 など参考に)
☆飛行神社(京都府八幡市)
飛行機によく使われる金属から、鳥居もジェラルミン製
ぼくの住む京都には二宮忠八縁の飛行神社がある。
飛行神社 京都八幡市
公開日: 2012/12/29
模型といえども世界初の動力飛行機を発明した二宮忠八を
祀った神社で、飛行機の安全、航空関係で働く人の安全など
を祈って訪れる人も多い。もともとは四国の八幡浜市で実験や活躍
していたが忠八が大阪に移動したため同名の京都八幡市に神社ができる
ことになった。撮影は2007年になります。
彼の伝記としては吉村昭の「虹の翼」がある。
この著作は、二宮家公認の定本であるとのことである。飛行神社にてハードカバーの初版本がまだ販売されている。
そして、玉虫型飛行器をラジコンで復元した人がいる。
日大も実物を作成し飛行に成功したが、イベントで事故を起こしたそうで、機体の詳細は詳らかではない。
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