2016/10/27

親指AFのすすめ・・・というか・・・ピントズラし・・・カメラのせいではない。

昔の一眼レフはこんな感じだったんだよ。

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今のようなこんな厳ついのではなかった。

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 ただ、今のような頑丈な工業用プラスチックなどなかったので金属とガラスの塊なので小さい割にズッシリ感はあった。

 しかし、今日の話題はそんなところではない。

 ピント合わせの方法の話しだ。

 銀塩カメラの頃は、ピント合わせはレンズで手動でいわゆるマニュアルフォーカスで行わなければならなかった。左手でピントを合わせてから、右の人差し指でいわゆるシャッターボタン、リリースボタンを押してシャッターを切るという一連の行為だった。

 ところが、AF以降、リリースボタンにAFの起動機能を組み込んでしまってシャッター半押しでピントを合わせそのまま押し込んで切るというのが当たり前になってしまった。銀塩になれたピント合わせとリリースの操作を別のものとして身につけているものにとっては大いに違和感がある。

 最近はそのAF起動の操作を別のボタンに割り当てられるカメラが増えた。カメラ背面のボタンに割り当て右手親指で起動するというのが定石だ。この操作だと妥協出来る範囲だ。

 ただ、ぼくの場合は、AFで合焦したあと、必ず、レンズのピント環でフォーカスを動かす。AFは、レンズをピント近くまで持って行ってくれる機能としてしか使っていない。最後は、自分で合わせる。というよりも合ってしまったものを外しているといった方が良いかもしれない。その操作が困難なときはレンズ開放で被写界深度を浅く、ピントの合う奥行きを狭くしている。多少の体や被写体の動きでピントがズレるようにだ。もしくは、絞ったときとかは、シャッタースピード(ライブ撮影では、Jazzの場合は1/100~125程度、Drumsやロックの場合は1/200~1/250が常識的な線だろう。)を遅くして被写体ブレを起こさせ動画を止めたときのように撮る。

 これは単なる好みの問題だから、人には勧めない。銀塩に慣れた目では今の高解像感はどうも嘘っぽいのだ。フィルムカメラもおっきく引き延ばしても凄い解像はしてるのだが違うのだよ。どう言ったら良いのかわかんないが、デジタルのような切れ方をしないのだ。細部の表現がもうすこし優しいというか緩い。デジタルは線のエッジが立ちすぎている感じだ。だからわざわざズラしてみたくなるのだ。解像度が高くなるほどその欲求は強くなる。

 そんなことで、ぼくの作例のような写真は、ピントが合ってなかったり、被写体ブレに任せたりしているので、決してカメラのAF性能が低いわけではないのだ。

 金属の模造品対象のブツ撮りの時は別だけどね。本気でピントを追い込んでいる。ただ、それにもかかわらず曖昧なことが多い。これは、感度を低くしてなおかつ絞り込んでいるので、ブレているのだ。ほんとはガチピントを追い込んでいるのだけれどね。それはそれで非常に残念なことだ。

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