James Jamerson Tribute
ジェームス・ジェマーソンジェームス・ジェマーソン(James Lee Jamerson、1936年1月29日 - 1983年8月2日)はアメリカのベーシスト。アメリカ合衆国サウスカロライナ州チャールストン出身。 1960年代から70年代初頭におけるモータウン黄金期のベーシストである(1971年になって初めてモータウンにより彼の名がレコードにクレジットされた)。
ジェマーソンは近代音楽において最も影響のあるベーシストとして知られている。没後17年が経った2000年にロックの殿堂入りを果たした。
使用機材
ジェマーソンの使用していたダブル・ベースはドイツ製のアップライト・ベースである。10代だった頃にこれを手に入れ、モータウン時代にもメリー・ウェルズの「My Guy」 や、マーサ&ザ・ヴァンデラスの「Heat Wave」などのヒット曲で使用した。
ジェマーソンは、モータウンで仕事を始めたあともしばらくアップライト・ベースのみを使用していたが、1960年に友人のホレス“チリ”ルースからエレクトリック・ベースを使うように説得され、ホレスが所有していた1957年製のフェンダーのプレシジョン・ベースを譲り受ける。このベースは、ボディが黒に塗り直されており"Black Beauty"と呼ばれていた。
ジェマーソンが自身のキャリアーのほとんどを通して使い続けたのが、1962年製のサンバーストフィニッシュのプレシジョン・ベースである。Black Beautyは盗難に遭ってしまい、これが彼にとって2本目のベースとなる。ピックアップ・フェンスとブリッジガードは、購入時と同じ状態で取り付けられている。演奏時のヴォリュームとトーンのノブは全開であった。このベースもジェマーソンの死の数日前に盗まれてしまい、現在も見つかっていない。彼はこのベースに"FunkMachine"と名付け、ネックのジョイント部分に「Funk」と刻み込んでいたと言うが、彼のファンが同様なことをしたと言われており、生前彼が使用していたベースを発見する事自体が非常に困難になっているとすら言われている。
弦はLa Bellaのヘヴィ・ゲージ(.052-.110)を使用していた。ジェマーソンはフラット・ワウンドの弦を張り、ほとんど変えることはなかった。指板からの弦高は非常に高く、アップライト・ベースの感覚に近づけていたと思われる。しかしあまりに弦高が高いがゆえに、このベースでの演奏をした者は誰しも「とても演奏できるセッティングではない」と言ったほどであった。 このセッティングにより演奏が困難になる一方で、ジェマーソン本人はこれが良質のトーンを生み出すと考えていた。ブリッジの下にはスポンジを押し込み、サステインを減らす工夫をしていた。70年代に入り、プロデューサーより派手な音を得るためにラウンド・ワウンドの弦に変えるように言われたが、ジェマーソンはこれを拒否した。
ストイックな印象の強いジェマーソンだが、ベースとアンプをワイヤレスで接続する装置や、ハグストロームの8弦ベースを使うなど、新奇性を求めた逸話もいくつかある。また、生前にフェンダーの5弦ベースを所有しており、本人の死後、自宅に残っていたベースは前述のアップライトとこの5弦ベースであった。
クラブで演奏を行うときのアンプはアンペグのB-15を使用していた。広い会場においては青色人工皮革張りの Kustom 社製15インチツイン・スピーカーアンプを使用していた。いずれのアンプにおいても、Bassのツマミは全開にし、Trebleのツマミは半分ほどしか上げなかった。レコーディング時には、ベースを直接ミキシング・コンソールのヘッド・アンプ部分に接続してレコーディングを行っていた。
演奏法
ジェマーソンがアップライト・ベースからエレクトリック・ベースへ転向する上で引き継がれたのが、自身のピッキング法である。ジェマーソンは右手の人差し指のみでピッキングを行い、小指はピックアップ・フェンスの上におき、親指で残りの弦をミュートした。このことから彼の右手人差し指には「ザ・フック」という愛称がつけられたほどである。1本指で複雑なフレーズを演奏できたのは、開放弦を多用していたことに加え、1回のストロークで複数の弦をピッキングするレイキングの技術に長けていたからだと考えられる。そのため、ほとんどのフレーズは5フレット以下のポジションで演奏したといわれる。ただし、曲によっては人差し指と中指のツーフィンガーで演奏することもあった。ワンフィンガー奏法を得意とするベーシストのチャック・レイニーは、ジェマーソンからツーフィンガー奏法を強くすすめられたと述懐している。
2015/08/19
James Jamerson Tribute
2015/08/18
aja – STEELY DAN
『彩(エイジャ)』(Aja)は、ロック・バンド、スティーリー・ダンが、1977年にABCレコードからリリースした6作目のアルバム。
概要
同バンドのアルバム中で最高の売り上げを記録した。アメリカ合衆国のチャートで3位、イギリスのチャートで5位を記録し、同バンド初めてのプラチナアルバムとなった。1978年7月に、このアルバムはグラミー賞の最優秀録音賞、ノン・クラシカル部門(Best Engineered Album, Non-Classical)を受賞した。
このアルバムはソウルと、洗練されたジャズなどの混合による傑作であると評価されている。8分間に及ぶ表題曲は、複雑なジャズ的転調と、サクソフォーン奏者ウェイン・ショーターによるソロ、そしてドラマーのスティーヴ・ガッドによる巧みなドラム演奏などが含まれている。また、数十人に及ぶ腕利きミュージシャンが参加している。
アルバムのジャケットに写っている女性は、日本人モデルの山口小夜子である(写真:藤井秀樹)。
『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』に於いて、145位にランクイン[8]。
収録曲
全曲Walter BeckerとDonald Fagen作詞・作曲。
ブラック・カウ - Black Cow 5:10
彩(エイジャ) - Aja 7:57
ディーコン・ブルース - Deacon Blues 7:37
ペグ - Peg 3:57
安らぎの家 - Home at Last 5:34
アイ・ガット・ザ・ニュース - I Got the News 5:06
ジョージー - Josie 4:33
収録メンバー
メインメンバー
- ウォルター・ベッカー - ベース、ギター、エレクトリックギター、ボーカル
- ドナルド・フェイゲン - シンセサイザー、キーボード、ボーカル、バックグラウンドボーカル、ホイッスル
- ラリー・カールトン - ギター、エレクトリックギター
- ピート・クリストリーブ - フルート、テナーサクソフォーン
- ゲイリー・コールマン - パーカッション
- デニー・ダイアス - ギター
- ヴィクター・フェルドマン - パーカッション、ピアノ、キーボード、エレクトリックピアノ、ヴィブラフォン
- ヴェネッタ・フィールド - ボーカル、バックグラウンドボーカル
- チャック・フィンドレイ - ホーン、ブラス
- スティーヴ・ガッド - ドラムス
- ジェイ・グレイドン - ギター、エレクトリックギター
- エド・グリーン - ドラムス
- ポール・グリフィン - キーボード、エレクトリックピアノ、ボーカル、バックグラウンドボーカル
- ドン・グロルニック - キーボード、クラヴィネット
- ジム・ホーン - フルート、サクソフォーン
- ポール・ハンフリー - ドラムス
- リチャード・ハイド - トロンボーン
- スライド・ハイド - ブラス
- プラス・ジョンソン - フルート、サクソフォーン
- ジャッキー・ケルソー - フルート、ホーン、サクソフォーン
- ジム・ケルトナー - パーカッション、ドラムス
- スティーヴ・カーン - ギター
- クライディー・キング - ボーカル、バックグラウンドボーカル
- レベッカ・ルイス - ボーカル、バックグラウンドボーカル
- リック・マロッタ - ドラムス
- シャーリー・マシューズ - ボーカル、バックグラウンドボーカル
- ルー・マクレアリー - ブラス
- マイケル・マクドナルド - ボーカル、バックグラウンドボーカル
- マイケル・オマーティアン - ピアノ、キーボード
- ディーン・パークス - ギター
- ビル・パーキンス - フルート、ホーン、サクソフォーン
- バーナード・"プリティ"・パーディ - ドラムス
- チャック・レイニー - ベース
- リー・リトナー - ギター
- ジョー・サンプル - キーボード、エレクトリックピアノ、クラヴィネット
- ティモシー・B・シュミット - ベース、ボーカル
- トム・スコット - 指揮、フルート、テナーサクソフォーン、リリコン
- ウェイン・ショーター - フルート、テナーサクソフォーン
製作
2015/08/17
(全録)安倍首相、「戦後70年談話」について記者会見(15/08/14) FNNnewsCH
(全録)安倍首相、「戦後70年談話」について記者会見(15/08/14) FNNnewsCH
平成27年8月14日内閣総理大臣談話
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣 安倍 晋三
2015/08/14
Stitched Up - Herbie Hancock
Stitched Up Lyrics from Possibilities
Exactly how you hear it
Is exactly how it all went down
It was later in the evenin'
That the facts and the figures got turned aroundIt's true there was a woman
And yes, she did advance my way
And I can't be sure exactly
But I swear I saw her say my nameIt was the right time
She was the real thing
I had to walk away
See, don't wanna beStitched up
Out of my mind, feelin'
Strung out
Laggin' behind, all
Trapped in
Can't do a thing, because I'm
Locked downStitched up
Feelin' the burn, all
Strung out
Finally learned that
Trapped in, I can't [you] do a thing, because I'm [you're]
Locked downI wonder where she came from
I wonder where she's gotta go
Who's to say she's single? Who's to say she's on her own?
-Girls like that don't sleep alone-[Talking]
That girl is flawless
And I know I'm not the first one to think that
And since I'm not the first
I sure won't be the last
Spend my whole life lookin' behind my back?
I just don't think I'm up to thatStitch me up
String me out
Trap me in
Lock me downSongwriters
HANCOCK, HERBIE / MAYER, JOHNPublished by
Lyrics © Sony/ATV Music Publishing LLC, REACH MUSIC PUBLISHINGRead more: Herbie Hancock - Stitched Up Lyrics | MetroLyrics
2015/08/13
なぜ敵国扱いされてもアメリカに忠義を尽くすのか – Videonews.com
なぜ敵国扱いされてもアメリカに忠義を尽くすのか
2015/08/01 に公開
http://www.videonews.com/
ニュース・コメンタリー (2015年08月01日)
なぜ敵国扱いされてもアメリカに忠義を尽くすのか
内部告発ウィキリークスは7月31日、アメリカの国家安全保障局によって日本の首相官邸や経産省など主要な政府機関が盗聴され、通商交渉や気候変動、原子力政策などをめぐる日本政府の内部情報が漏洩していたことをうかがわせる文書を公開した。しかも、アメリカは盗聴によって得た情報をFive Eyes(5つの眼)と呼ばれるオーストラリア、カナダ、英国、ニュージーランドの政府当局と共有していたという。
日本時間8月1日午後の時点では、アメリカ政府はこの件については確認を避けているが、NSAはドイツのメルケル首相やフランスの歴代大統領の盗聴を行っていたことが既に明らかになっている。軍事同盟国でもある日本に対しても、同様の盗聴行為を行っていたとすれば、本来であれば両国関係に少なからず影響が及ぶ、重大事件にならなければおかしい。
ところが安倍政権は、アメリカとの同盟強化のために憲法解釈を変えてまで、集団的自衛権の行使を可能にするための法案を強行に可決しようとしている。安保法制の成立によって日米同盟がより強固なものになれば、万が一、日中間で軍事衝突が発生した際、アメリカが日本を守ってくれる可能性が高くなるはずというのが、今回の法改正における抑止論の本質のようだが、盗聴の対象となっているような国を、自国の国益を超えてまでアメリカが守ってくれると考えるというのは、どう考えても無理がある。
この何とも言い様のない「ズレ」は、一体どこからくるものなのか。
また、今週の『マル激トーク・オン・ディマンド』では共産党の志位和夫委員長に共産党のソフト路線の本物度を問うたが、野党各党が安保法制に強硬に反対しているにもかかわらず、もし法案が可決した場合、法律の廃止を掲げて選挙を戦う野党共闘の話は、志位氏の口からは終ぞ聞かれなかった。これでは、世論の過半が反対する法案が、国会内の数の論理で可決されてしまうことは必至だ。そして、「いざ選挙で審判を」となっても、野党が四分五裂状態にある限り、小選挙区制の下、自公連合は多少議席を減らしたとしても、政権を失う心配までする必要はない。
どうも、どこかで何かが大きく「ズレ」ずているように思えてならない。
同じく31日、福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷容疑で告発された東京電力の勝俣恒久元会長ら元役員3人が検察審査会の議決を経て、強制起訴されることが決まった。
日本では重大事故原因の究明の仕組みが整備されていないため、強制力を持った調査を行うためには、刑事告発するしかない。しかし、刑事告発を行った場合、被告側は自らの訴追を免れるために、原因究明調査への協力を拒み、関係企業も情報公開に非協力的にならざるを得ない。刑事告発が必ずしも原因究明につながらないという問題は、いみじくも8月12日で30周年を迎える日本航空123便の墜落事故以来、繰り返し指摘されてきた。
アメリカには乗り物事故や重大事故の際、関係者を刑事免責した上で、原因究明に全面協力させる制度がある。司法取引の一形態だが、その事故の個別の過失責任を追求することよりも、原因を究明し将来につなげることの方に、より大きな公益を見いだしているからだ。
実は日本でも今国会に刑事訴訟法の改正案が審議され、その中に日本では初めてとなる司法取引の導入が含まれている。しかし、今国会で審議されている司法取引は、他の犯罪の捜査に協力すれば自身の罪を軽くしてもられる捜査協力型司法取引は含まれているものの、上記のような原因究明のための司法取引は含まれていない。要するに警察・検察の権限強化につながる司法取引は導入されるが、事故原因の究明というより公共的・公益的な目的のための制度導入は図られていないのだ。・・・・
この「ズレ」をわれわれはどう捉えればいいのか。それを修正するために、何が必要なのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
2015/08/12
石田勇治氏:ドイツが許されて日本が許されない本当の理由–VideoNews.com
【ダイジェスト】石田勇治氏:ドイツが許されて日本が許されない本当の理由
2015/07/25 に公開
http://www.videonews.com/
マル激トーク・オン・ディマンド 第746回(2015年7月25日)
【ダイジェスト】石田勇治氏:ドイツが許されて日本が許されない本当の理由
戦後70年を迎えるにあたり、安倍首相は「戦後70年談話」を発表する意向を示しているが、そこでは相変わらず「謝罪の有無」や「反省の表現のあり方」などが問題となっている。一体、日本はいつまで謝り続けなければならないのだろうとの思いを持つ向きもあるだろう。
談話の内容を検討している首相の私的諮問機関である21世紀構想懇談会からは、謝罪にこだわるよりも未来志向をなどといった考えが示されているようだが、やはり今度もまた「おわび」の有無をめぐる論争は避けて通れそうもない。
一方、日本と同じ枢軸国として先の大戦を戦い、暴れるだけ大暴れした挙げ句に無条件降伏をしたドイツは、今年5月に一足早く戦後70年を迎えているが、そこでおわびや反省が問題になったという話はついぞ聞かない。日本とは比較にならないほどの規模で世界を大戦の惨禍に巻き込み、ナチスによるユダヤ人の大虐殺という人類史上類を見ない負の歴史を抱えるドイツは、この70年の間に見事にその過去を克服し、国際社会から信頼を勝ち取ることに成功しているように見える。
ドイツに過去を克服することができて、なぜ日本にはできないのか。
ドイツの近現代史やジェノサイド問題に詳しい東京大学教授の石田勇治氏は、ドイツの過去の克服の道程は、決して順風満帆にして平坦なものではなかったという。むしろドイツも日本と似たような、過去に対する反省と忘却や自己正当化の間を揺れ動きながら、様々な紆余曲折を経て、今日の信頼を勝ち得るまでに至ったのだという。そして、その信頼を勝ち得る上でポイントになったものは、ナチズムを全面的に否定するとともに、その被害を補償し、ナチの蛮行に加担した人物を徹底的に司法訴追することによって初めて達成されたものだったと石田氏は指摘する。
ヒトラー政権の下で世界を戦争に巻き込んだドイツは、日本と同様に一度は、敗戦とともに国際社会からの信頼を完全に失った。その後、ドイツも日本と同様に、連合国によって開かれたニュルンベルク国際軍事裁判で裁かれるが、ドイツ自身の手による責任追及はそれだけで終わらなかった。実はドイツはニュルンベルク裁判の結果を公式には受け入れていない。その代わりに、ドイツはドイツ自身の手で、自国の刑法に従った司法訴追を徹底的に行い、今日にいたるまで9000人以上を刑事訴追している。・・・・
戦後70年を迎えるにあたり、国際的な信用と信頼を勝ち得るために今、日本は何をしなければならないか。ドイツが過去の克服のために経てきた紆余曲折の歴史と、そうした中で最終的に信頼を勝ち得ることができた原因や背景を検証しながら、ゲストの石田勇治氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
2015/08/09
Boz Scaggs – Lowdown (Unplugged)
Boz Scaggs の Lowdown といえば、大ヒットをかっ飛ばした
のからのシングルカットでこれまた大ヒットした。彼はAdult Contemporary トップランナーとなりこのアルバムに集まったミュージシャンが後にTOTOを結成したのは有名な話だ。
でも、今夜はその話ではない。
そんなBoz は多産なミュージシャンではないが着実に成果を残してきた。そんな中でもあまり注目を集めていないが埋もれさせておくにはもったいない名盤がこれだと思うんだよ。
詳細はリンク先のアマゾンを見てもらとしてとにかくこの曲を一度聴いて欲しい。このアレンジが気に入った人は、きっとこのありバムが欲しくなるはずだ。