ことしも敗戦の日が過ぎた。
過去にいろんなことを書き尽くしてきているので、もうあまり書くこともない。ぼくは、こういう心のあり方を警戒している。なので、8月は、ほとんどあの戦争に絡んだ勉強をしている。
直近では、昨年は新聞の報道、一昨年はBC級戦犯、2011年は福島の事故の情報収集と拡散ばかりしていたのでそれどころではなかった、2010年は、「ザ・パシフィック」がらみで、ガダルカナルから沖縄までの島嶼戦。この間、軍関係の新しい研究が次々発表されているが、だいたいはフォローしているつもりだ。
でもね。正直、あの戦争に関して個人の思いを書くことは、そんな難しいことはないので、毎年同じことばかり書いてきたのだが、最早、書くことは何もない。それほど自明のことだ。
今年は、第一次世界大戦開戦100年と言うことで、今年、出版された本のいくつかを手に取ったが、ぶっちゃけ、あの戦争から学ぶべきものは国際関係論、外交パワーゲーム論の部分こそが大切で、戦争が起こってしまってからのことで学ぶべきものなそう多くない。各国家の意思決定については、封建時代の意思決定から大きく逸脱したものではない。行政組織も世論も、まだまだ、機能しはじめたばかりで、第二次大戦の時代とはとは様相が全く違う。ただ、記憶しておくべきことは、殺戮の方法が近代化され全く歯止めがきかなくなったことが明白になった戦争だという点に尽きると思う。
と言うようなことで、早々に切り上げて、原爆投下の意思決定に関する新しい研究が目についたので読んでいるところだ。
ぼくが初めて学んだのはこの本だった。
その他沢山の出版があったが、ぼくは、アメリカの原爆投下決定の学習については以下のもので良いかと思っていた。彼の記述は全体の流れを上巻で概観したあと、スティムソン、トルーマン等に焦点を当てていた。
今、学習しているのは、結局上記の本を最新の研究でなぞっているようなことになってしまってる。
核認識の目次
この本は、まだとをつけていないけれど表題を見ただけで、訳者大丈夫かとちょっと気になっている。
FDRに関してはビアードの大部の翻訳が気になってんだけど、大筋の内容に関しては予想がつくので現在のところはそこまで手が回らない。
このあたりを鳥瞰するのには、映画監督オリバー・ストーンのテレビドキュメンタリーの書籍化された
でも良いと思う。
ぼくは、米帝の歴史は、ビアードの古い教科書で学んだ。結果的にぼくは幸いだったと思っている。古本でしか手に入らない。信じられない。
今から学ぶのなら、モリソンの方が読みやすいだろう。
あぁ、この作業はやりたくないと毎年思いつつ修行のようなものになっている。ただ悲しいことに若い子たちに話して聞かせてやる機会が少ない。
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