言われて気がついた。アイルトン・セナ・ダ・シルバ Ayrton Senna da Silva が逝って20年が経つという。
恐ろしいものだ。20年だ。あの日は、まさしく呪われたような日だった。
1994年5月1日、F1サンマリノグランプリ。イモラサーキット。
あの魔物の住むタンブレロコーナーでの忌々しくも衝撃的な映像は脳裏にこびりつき生涯消し去りようもない。プロストの言うように、セナは、彼にとってはレースが人生そのものであり勝つためには命も辞さない。そういう批難を浴びても臆しもしなかった男だった。
それでいて誰もがセナが事故で死ぬことがあるかも知れないなどとは微塵も思わなかった。彼は剃刀の上を素足で歩ける男だと思って誰もが信じ切っていた。
そんな男が衆目の中で散った。その事故に至るまでの経緯から、事故後の映像を見た瞬間、これは致命的な事故だという悪寒が走った。その一部始終が全て目撃された。事故の処理の映像を固唾をのみながら見守る間、止めどなく涙が溢れて止まらなかった。
全くもって不可解、理由の解らない死に方だった。そんな死に方をする男だとは本当に思わなかった。
英雄の生涯というのはそういうものなのかも知れない。
英雄の死を看取った呪われたタンブレロコーナーも今はない。
彼の画像をググってみたが、ぼくはこの一枚が気に入った。
かれの車を1台だけ選ぶとするなら、やはり、はじめてドライバーズタイトルを獲得した MP4/4 になるだろう。ターボ過給器最後の車だ。洗練されたとは言いがたいが無骨な中にもカラーリングと相まってギリギリ美しいといえるデザインなのではないだろうか。カーボンモノコックは四角く無骨だがFRPのカバーで美しく覆っている。
後に見るも哀れな争いをしたふたりなのだがセナとプロストはふたりで全16戦中15勝した。全てに渡ってチームの力が結集された見事としか言いようのない完璧な勝利を収めた歴史に残る栄えある車だ。
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