我が国の現時点での自動車メーカーは、10社程度だ。それでも、めちゃ多いと思われるが、それでもかつてはもっと沢山のメーカーが存在した。それだけ、多くのメーカーが生まれただけの理由はあるのだ。その肝は飛行機にある。
過去に存在した日本の製造者・ブランド
第二次世界大戦前
- オートモビル商会
- 宮田製作所(現:宮田工業)
- 大阪自動車
- 東京自動車製作所
- 梁瀬商会(現:ヤナセ)
- 快進社自動車工業→ダット自動車製造(現:日産
自動車)- 石川島造船所(現:IHI)→石川島自動車工業→ヂーゼル
自動車工業(現:いすゞ自動車・ボッシュ日本法人(旧ヂーゼル機器→ゼクセル))- 実用自動車製造
- 白楊社
- 京三自動車商会(現:京三製作所)
- 豊田自動織機製作所(現:豊田自動織機、自動
車部が独立してトヨタ自動車工業・現:トヨタ自動車)- 戸畑鋳物(現:日立金属)
- 日本内燃機製造
- 川崎車輛→川崎重工業
- 池貝製作所→池貝鉄工所→池貝鉄工→池貝
- 日本エアブレーキ→ナブコ→ナブテスコ
- 岡本自転車製作所
- ライト自動車製造→ライト自動車工業
第二次世界大戦後
この消滅したメーカーの中で、今でも皆の心の中に強烈な印象を残しているメーカーと言えば、やはり、プリンス自動車工業ではないだろうか。
プリンス自動車の起源は、飛行機メーカーだ。川西の陸軍練習機「赤とんぼ」を作ったり、中島飛行機が開発した陸軍の主力戦闘機「一式戦闘機 隼」をライセンス生産していた(中島は三菱の零戦を請け負ったりしていたので飛行機メーカーの関係は複雑なんだよ)立川飛行機が、戦後、東京電気自動車=たま自動車となり、日本の民間乗用車黎明期に電気自動車を開発したりしていた。そして、その会社が諸般の事情でガソリンエンジンに転換しなけらばなら無くなった頃に、中島飛行機で 「栄」、「誉」 エンジン(普通このエンジンの名を聞けば驚かなければならない)の開発を行った中川良一などの技術者がブリジストンの資本を得て自動車を開発し出した富士精密工業が、たま自動車と合併してプリンス自動車になったわけだ。
いわば、日本の自動車産業においては、その血統の良さからもプリンスの名にふさわしいかもしれない。
いずれにしても、東亜の空を支配した技術が、戦後の自動車産業の隆盛、世界に冠たる技術立国の礎となったのは間違いない事実だ。その基礎があってこそ、こんなに沢山の自動車メーカーが出現したことになるんだね。諸外国に多少の教えを請うことはあったが、ほとんどが独学なのだ。何もないところから、これほどの技術がタケノコのように生えてくるわけはない。
以下に、引用するのは、そういう技術者の生き様についてだ。是非ともなにごとか感じ取って欲しいと思う。
この動画が公開されているとは思いませんでした。
NHKさん、おおめにみてあげてください。
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