ちょっと前のお買い物だけど。
ぼくは、一応、政治学を修めたと言うことになっている。
現在に至る影響力を持ちえた評価する政治家をあげよと言われたなら、ビスマルクは三指に入れるだろうと思う。現実を分析する目と強権さのバランス感覚が見事な政治家だ。
オットー・エドゥアルト・レオポルト・フュルスト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン(独: Otto Eduard Leopold Fürst von Bismarck-Schönhausen, 1815年4月1日 - 1898年7月30日)は、プロイセン及びドイツの政治家、貴族。プロイセン王国首相(在職1862年-1890年)、北ドイツ連邦首相(在職1867年-1871年)、ドイツ帝国首相(在職1871年-1890年)を歴任した。ドイツ統一の中心人物であり、「鉄血宰相(独: Eiserner Kanzler)」の異名を取る。
プロイセン東部の地主貴族ユンカーの出身。1862年にプロイセン国王ヴィルヘルム1世からプロイセン首相(ドイツ語版)に任命され、軍制改革を断行してドイツ統一戦争に乗り出した。1867年の普墺戦争の勝利で北ドイツ連邦を樹立し、ついで1871年の普仏戦争の勝利で南ドイツ諸国も取り込んだドイツ帝国を樹立した。プロイセン首相に加えてドイツ帝国首相も兼務し、1890年に失脚するまで強力にドイツを指導した。文化闘争や社会主義者鎮圧法などで反体制分子を厳しく取り締まる一方、諸制度の近代化改革を行い、また世界に先駆けて全国民強制加入の社会保険制度を創出する社会政策を行った。卓越した外交力で国際政治においても主導的人物となり、19世紀後半のヨーロッパに「ビスマルク体制」と呼ばれる国際関係を構築した。
もうひとりはA.ハミルトンか・・・・最後は・・・・日本から入れたいが・・・思い浮かばない・・・難しい・・・。そういう視点からは、西洋以外は壊滅状態だ。
十指なら敷居は低くなるが、それでも日本人は入らないだろう。ほとんどヨーロッパになるだろうね。悔しいけど。
幸い、ビスマルクは参考書に恵まれている。
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