2013/07/23

これからが肝心 今こそ理想の旗を掲げる時だ。

 祝勝気分の中、水を差すようで申し訳ない。
 個人としてやれることは、やったので本心を書いておく。

 選挙が終わった。サプライズはなかった。
 まぁ・・・あるわけがない。
 テレビの報道にも何の興味もわかない。ネットでチラチラ見えてしまう情報だけを見ている。
 たくさんの人に応援してもらった。お礼を言ってまわっている。気持ちがこもらない。なんの感慨もないのだからね。仕方が無い。

 選挙期間前から、たくさんの文章を書いた。公開しないまま、もう全部捨ててしまった。
 ネット選挙も解禁になった。けど、何もしなかった。
 いつも応援してくれている人たちがネットを使っていないというのもある。
 ぼくは、基本的に実名をネットにさらしている。意にそぐわない事を書き残すのは嫌なんだ。
 以前と同じ活動をし、今回は党の押せという他党の人物には投票しなかった。
 選択肢がなくってよわったよ。
 ぼく一人逆らったところでどうしようもないことだけどね。

 今後、出るべくして出る話もあるのだろう。

時事ドットコム:集団自衛権「公明の理解に努力」=安倍首相

参院選 自民圧勝、ねじれ解消 安倍カラー前面へ 自民、改憲論議本格化- 毎日jp 毎日新聞

 こいつら、理想を持って政治家になったのか?

 人として歴史に何を学んだのか?

 本気でバカか?

 何も学習できないのか?

 する気がないのか?

 と思わざるを得ない。

 バカとは失敬だが、知識の多寡を言っているのではない。
 人としての多くの人に納得してもらえる常識的な理想を持って政治家になったのかと言う価値観から言っているのだ。

 まぁ、今までの集団的自衛権の問題も、改憲の問題も、強力な世論が押しとどめていたが故に、今の状態になっていると言うことは肝に銘じておかなければならない。
 これは、彼らの問題ではない。ぼくたちの問題だ。

 確かに、ややこしい状態であるのは間違いない。尖閣と同じ処理を今までしてきていたのだ。要するに、ぼくたちの能力では手に負えないので、先の利口な人たちに委ねましょうってことだ。とことん逆らったヤツは世論に踏みつぶされたこともある。利口なヤツは、結局、先に延ばしてきた。

 この問題を処理できるほど、ぼくたちは、充分賢くなったのだろうか?

 ぼくには、逆に劣化しているように思える。

 こうして新しいポジションを得た今、ぼくたちは旗幟をより一層鮮明にする覚悟が必要だと思う。

 選挙戦の中でも、その役割を担うと公言してきたんだから、口先だけで取り繕うのはもう止めよう。ポジションとしては外野で遠吠えするよりはマシだろう。いい位置だ。人として間違っている事は、間違っているし、ダメなものはダメだ。論争的な理論の裏付けなど必要のない普遍性のある断固たる価値のあるものだ。わからない連中には宗教的価値観だと言いきってしまえば良い。ぐずぐずしていると、どんどん学会の理想とはかけ離れた国になってしまう。これでは、ぼくたちが、政治に関わる意味の大半が消失してしまうではないか。

 ぼくたちの生きているのは、市井を生きるのに物騒だからと言って、武器を携帯して良い世の中ではない。人の悪意を期待してそのような生き方をしてもいいとは言わない世の中だ。そのような事は全ての人格に共通の普遍性を持つべきだと胸を張って言おう。そのような国で在ることがあたりまえだという事がわからない人には、しっかりと説明する必要がある。目上の人であってもそうでなくてもだ。たったそれだけの常識的な生き方が出来ない世の中だからそれなりに対応するというのは信仰者の生き方としては間違ってる。

 憲法というのは、人権宣言の延長線上にある。人の権利を守るためのものだ。筆頭に守られるべきは生きる権利であり、国家がこの権利を脅かす事は出来ないという規定は最初に掲げられるべき項目である。これは、民主主義国を名乗るのであれば、いかなる国家であっても、満たすべき最低の用件だ。人の生きる権利は至上のものであり、人以外他の人格の権利に優先させねばならない。
 国家の自衛とは、そういう価値観とは真っ向から対立する。よって、国家の自衛権を放棄しても生き残れる環境つくりをしていこうという国こそが民主主義国家と名乗れると肝に命じよう。いずれにしても、いざという時は、ぼくたちが命がけの戦いをしなければならないのには違いない。同じ命をかけるのなら理想のために命をかける事こそ人としての名誉だと信じよう。日本という国は、あの苛酷な戦争のあと、いったんそういう国として生まれ変わったのだ、そういう生き方をすると決意したのだと信じよう。

 斯様な理想は、世迷い言ではない。尊敬すべき先達はごまんといらっしゃる。

若い子達がわからないのは仕方がないとしても、ぼくたち世代は、本気でこの憲法に惚れた経験があるはずだ。そのことを思いだそう。その昔、その理想をきれい事として振り回し、利用し尽くしてきた人たちはもう居ない。歴史的には彼らもその使命を充分に全うした。

 今後、いったい誰が憲法を守るんだ?

 憲法に書いてあることは、一字一句全て、ぼくたち日本国民の願いであり、ぼくたちの組織の理想と全く同じことではないのか?

 その認識があれば、環境の変化、憲法の出自来歴、少々の瑕疵などどうでも良い事だ。

 未だ見ぬ「真の民主主義」とは、人類普遍の信仰である。

 その用件が日本国憲法の中に書かれている。

 ぼくたちの国こそが、世界で唯一、真の民主主義国家となる可能性を持っていると誇り高く信じよう。

 今こそ、ぼくたちがその理想の旗頭にならなくてどうする?

 この戦いに勝てないようでは、ぼくたちが政治活動をする意味は全く無い。

 今回、当選された方々は、この名誉ある歴史的な使命を委ねられたと信じて、一歩も引かぬ断固たる姿勢で陣頭に立って戦って頂きたい。




 つらい八月を目の前にして、本心からこんなふうに思うんだよ。

 先の大戦でつらい思いをされた全ての方々には、本当に申し訳なくつらい思いでいっぱいだ。

 ぼくは、毎年、そのことを決して忘れないために八月を迎える。

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