2016/06/10

ブルースの歴史12 シカゴブルース1– マディ・ウォーターズ Muddy Waters

800px-Muddy_Watersマディ・ウォーターズMuddy Waters, 1913年4月4日 - 1983年4月30日)は、米国ブルースシンガーギタリスト。本名は、マッキンリー・モーガンフィールド(McKinley Morganfield)。シカゴにおいてエレキ・ギターを使ったバンド・スタイルのブルースを展開し、シカゴ・ブルースの形成に大きな足跡を残したことから、「シカゴ・ブルースの父」と称される。生涯に6度グラミー賞を受賞し[1]、没後の1987年にはロックの殿堂入りを果たした[2]
その豊富で深淵な声、豪快なボトルネック・ギター、カリスマ的キャラクターで、ブルースの第一人者のひとりとなった。ロック界においても、ローリング・ストーンズエリック・クラプトンロリー・ギャラガーポール・ロジャースザ・バンドなど、彼から影響を受けたミュージシャンは多く、その影響力は計り知れない。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第53位[3]
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第17位。
2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第49位。
 
来歴
クラークス郊外ストーヴァルのプランテーションにて幼少期を過ごす。泥んこになって遊ぶのが大好きだったことから、マディ・ウォーターズ(泥水)とのニックネームで呼ばれるようになった。7歳でハーモニカを始め、のちにギターに転向。当時の彼のアイドルは、サン・ハウスロバート・ジョンソンらであった。 なお、1915年ミシシッピ州ローリング・フォーク生まれとされてきたが、近年の研究[4]により1913年にミシシッピ州のアイザッキーナ・カウンティとするのが定説となっている。
1941年8月、国会図書館のフィールド・レコーディングのためにミシシッピ州を訪れたアラン・ローマックスが、ストーヴァルでウォーターズをレコーディングする。これが彼の初レコーディングとなった。1943年イリノイ州シカゴに移住。1946年にはコロンビアでレコーディングを行っている。
1947年、サニーランド・スリムに誘われ、アリストクラット・レーベル(後のチェス・レコード)のレコーディングに参加。これは、スリムのバッキングをするためであったが、マディも

"Gypsy Woman"、

"Little Anna Mae"の2曲をレコーディングした。これが彼のレーベルからのデビュー盤となった。このときの編成はスリムのピアノ、ビッグ・クロフォードのベースのみをバックにつけたもので、まだバンド・スタイルではなかった。
バンド・スタイルでレコーディングするようになったのは、1950年のパークウェイのセッションから。リロイ・フォスターリトル・ウォルターがヴォーカルを取るセッションではあったが、初めてウォルターがハーモニカをプレイするなど、実質的にマディ・ウォーターズ・バンドの始動とも言える内容であった。パークウェイに負けじと、続いてチェスもマディをバンド・スタイルでレコーディングするようになった。1953年にはオーティス・スパン1954年にはウィリー・ディクスンがレコーディングに加わるようになり、マディのバンドの形が完成する。同年、


"I'm Your Hoochie Coochie Man"、

"I Just Want To Make Love To You"など、彼の代表曲となる曲がレコーディングされた。1955年にも

"Mannish Boy"などがヒットする。1958年には、初のイギリス・ツアーを体験する。
1963年、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル出演のために渡欧。翌年、当時のフォーク・ブームに乗る形でアルバム『Folk Singer』をリリースした。同作には、ギターにバディ・ガイが参加している。この年もフェスティバルのために再度渡欧した。
1968年、異色作『Electric Mud』をリリース。これは、ロック・ファンにアピールするために、大胆にサイケデリックなアレンジを施した作品であった。ロックへの傾向は続く1975年の『Woodstock Album』でさらに顕著となる。ここではザ・バンドリヴォン・ヘルムガース・ハドスンポール・バターフィールドなどロックミュージシャンが参加している。翌1976年には、ザ・バンドの解散コンサート、「ラスト・ワルツ」に出演。ザ・バンドをバックに

"Mannish Boy"を歌う様子は、同名のドキュメント映画に記録されている。
1977年ジョニー・ウィンターと組んでブルー・スカイよりアルバム『Hard Again』をリリース。また、同年リリースされたウィンターのアルバム『Nothin' But the Blues』のレコーディングに参加。以後、ウィンターのサポートを得て1981年までに計4枚のアルバムをリリースした。



1980年5月、唯一の来日公演を行う。
1983年、イリノイ州ウェストモントにて68歳で死去。シカゴ近郊のオールシップにあるレストヴェール墓地に埋葬された。
 
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1. I Just Want To Make Love To You 2:49 (Willie Dixon)


2. Long Distance Call 2:38 (McKinley Morganfield)


3. Louisiana Blues 2:49 (McKinley Morganfield)


4. Honey Bee 3:20 (McKinley Morganfield)


5. Rollin' Stone (McKinley Morganfield)

6. I'm Ready 3:01 (Willie Dixon)

7. Hoochie Coochie 2:49 (Willie Dixon)

8. She Moves Me 2:54 (McKinley Morganfield)

9. I Want You To Love Me 3:01 (McKinley Morganfield)

10. Standing Around Crying 3:19 (McKinley Morganfield)

11. Still A Fool 3:14 (McKinley Morganfield)

12. I Can't Be Satisfied 2:41 (McKinley Morganfield)















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