2014/03/26

日本国憲法の草案はメイドインジャパン

日本国憲法の草案はメイドインジャパン

touhokushien

公開日: 2013/11/18

現行の日本国憲法はアメリカの押し付けだ、という定説は改憲派の論拠のひとつになって­いる。たしかに、GHQ草案をベースに現在の日本国憲法の原案(大日本帝国憲法の改正­案)が日本政府によって作られたことは歴史的事実ではあるが、番組はそのGHQ草案の­1ヶ月以上前にすでに日本の民間人による独自の憲法草案が存在し、その草案が逆にGH­Q草案にも影響を与えた可能性を指摘した。
 それは有識者7人が1945年11月に結成した「憲法研究会」による草案で、主権在民­や平和主義、表現の自由、男女平等などをうたっていた。7人の顔ぶれは高野岩三郎、森­戸辰男、杉森孝次郎、馬場恒吾、鈴木安蔵、室伏高信、岩淵辰雄という、当時の進歩的な­学者、評論家、ジャーナリストらで、いずれも戦時中は治安維持法違反などで逮捕・収監­され、または職場から追放されるなど、塗炭の苦しみを味わった人々だ。
「押し付け憲法だから改憲、という論を聞くが、憲法9条は日本人が作った」――。20­13年6 月5日、参議院議員会館で開かれた「第4回立憲フォーラム勉強会」に講師として登壇し­た作家・半藤一利氏はこのように話し、当時の幣原喜重郎首相が、 GHQ最高司令官であるダグラス・マッカーサー氏と会談した際に、憲法9条案を進んで­提案したと説明した。
 著書『日本国憲法の二〇〇日』(プレジデント社)を出版した際は、マッカーサー氏側か­ら提案があったと認識していた半藤氏だが、その後、勉強しなおし、先述の通りに結論を­変えたという。
 曰く、幣原氏とマッカーサー氏の会談は通訳を介さずに行われ、録音なども残っていない­ため、証拠はない。しかし、マッカーサー氏は「幣原が提案した」と語っており、幣原氏­は「自分が作った」と語っていないものの、否定はしていない。
 幣原氏が9条案を持ちだした背景には、1928年(昭和3年)8月27日フランス・パ­リで、日本を含む当時の列強諸国15カ国間で締結された「パ リ不戦条約」がある、と半藤氏は語る。不戦条約は、第一条において、国際紛争解決のた­めの戦争の否定と国家の政策の手段としての戦争の放棄を宣言してお り、調印に関わった幣原氏は、同条項の影響を強く受けていたというのだ。
 ところが、昭和6年の満州事変。半藤氏は言う。
 「これが陸軍総ぐるみの謀略であることは間違いない。侵略戦争を『自衛』と称し、不戦­条約違反にはあたらないとした日本に、世界各国は不信感を持った。国際的信用を失った­日本はその後、太平洋戦争への道を突っ走った。せっかくの不戦条約を、日本自らが先に­破ったのだ」
 「もう一度この精神を取り戻す」。幣原氏のこの提案に、マッカーサー氏は感動し、同意­したという。
 新憲法制定に向けた議論を行う「衆議院憲法改正案小委員会」では、当時、憲法担当大臣­だった金森徳次郎議員が1365回もの答弁に応じ、新憲法に関する議論は何重にも重ね­られた。
 「昭和21年4月10日、選挙法が変わり、婦人参政権も入った。戦後日本は、新しい議­員たちが、選挙で選ばれ、新しい議会を形成した。そこに、政 府が決めた憲法草案が提出された。新しい日本が始まった」。半藤氏は、こうした時代背­景を語った上で、「決して憲法は押し付けでなく、戦後、新しく選ばれ た議員による討議を経て、やっと作られたものだ。こうした事実をみろ、と言いたい」と­、「押し付け憲法論」に何度も釘を差すように語った。
日本国憲法が、歴史的・国際的な「正統性」のもとに生まれた、人類の英知の結晶
とも言うべき存在であることが強く印象付けられる。再現映像なども交えて当
時の議論のようすを丁寧に描写している。「人類の普遍的価値を体現した日本国憲法が、­一時の政治的な思惑で安易に改変されていいのか」

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